命懸けで飼い主を守った勇敢な犬…絵本にもなった「パイク」の物語
ふらりと入ったあげパン専門店で、1冊の絵本と出合いました。お店の名前は『パイクとそら』-ちょっと変わっています。カフェを併設した店内にはイメージと少し違う、でもとても美味しそうなあげパンが並んでいたのですが、その横に店名と同じタイトルの絵本が飾られていました。表紙には白い犬が描かれています。それは、命懸けで飼い主を守った勇敢な犬・パイクの物語でした。
絵本の作者はお店の店主でもある川端輝彦さん。パイクは川端さんのおじいさんが保健所からもらってきた犬でした。両手のひらにのるほど小さくて、真っ白な子犬だったそうです。パイクはおじいさんの家の庭を元気に走り回り、知らない人が来ると大きな声で吠える、立派な番犬になりました。
そんなとき、阪神淡路大震災が起こります。被災したおじいさんたちは大阪に避難。それから約1カ月間、空き家の庭にパイクだけが残り、窃盗団から家を守ったと言います。朝夕の食事は川端さんが通って与えていました。
その後、川端さんの家が二世帯住宅に建て替えられ、おじいさん、おばあさん、パイクと一緒に暮らすことになりました。当時、川端さんは大学生(絵本では少年期の話として描かれています)。深夜に車で帰宅すると、かなり遠くからパイクが鳴くので、家族に夜遊びがバレてしまったそうです。
パイクは番犬としての役目をきちんと果たしていましたが、裏を返せば気性がやや荒く、遊びの延長で人を噛んでしまうこともありました。そこで、おじいさんは犬の調教師に頼んで厳しくしつけてもらいました。
すると…パイクは人を噛まなくなった代わりに、とても弱虫になったそうです。風が強い日には、その音が怖くて「クーン、クーン」と鳴き、散歩の途中で他の犬に吠えられると、一目散に逃げ出しました。
ある日、川端さんのお父さんとパイクは、近くの山へ散歩に出掛けました。いつもの散歩コースでしたが、その日は少し違ったようです。途中で大きなイノシシとウリ坊(イノシシの子供)に遭遇したのです。お父さんはイノシシの親子が山の奥へ入って行くのを確認して、散歩を続けました。
しかし、その帰り道、あの大きなイノシシが再び現れました。道を塞いでこちらを睨んでいます。危険を感じたお父さんはパイクの綱を引っ張り、叫びました。「パイク、逃げるぞ!」
でも、パイクは綱を振りほどいて、突進してきたイノシシに飛び掛かったと言います。自分よりもずっと、ずっと大きなイノシシに。パイクとイノシシはもみ合うように、崖を滑り落ちていきました。
命からがら家に逃げ帰ったお父さんは、川端さんを連れてもう一度、山へ行きました。パイクを探すためです。でも、崖の下まで降りてみても、パイクは見つかりませんでした。
パイクは雑種でしたが、真っ白い毛に覆われていて、紀州犬の血が入っていると言われていました。「紀州犬は昔、紀伊山地でイノシシ狩りに使われていたそうです」(川端さん)。
弱虫になったと家族に心配されていたパイク。でも、弱虫なんかじゃありませんでした。命懸けで飼い主を守った、とても勇敢な犬です。
川端さんの心の中にはずっとパイクがいます。私用のメールアドレスには“paiku”の文字。仕事用のアドレスにはポルトガル語で白いオオカミを意味する“lobobranco”と入っています。そして、今年2月にオープンしたお店の名前は『パイクとそら』。
「パイクにすがっているわけじゃないんです。ただただ一緒にいたい、いるんだよという気持ちですね」
イノシシと闘ったパイクが、その後どうなったのかは分かりません。でも今はきっと、空の上から川端さんのお店を見守る番犬になっていることでしょう。(神戸新聞特約記者・岡部充代)