自宅警備のアルバイトで100万円以上稼いだ犬…自分のお金で、出来る限りのがん治療
ジュンちゃん(仮名)は、昔はよくあったパターンで、中川さん(仮名)のおうちの犬になりました。つまり、捨て犬なのか何だかよくわからないけれども、通学途中の学生と一緒に付いて学校に来てしまったのでした。
ジュンちゃんは、昭和の昔にはよく見かけた、まさに犬といった感じの茶色っぽい被毛の雑種のメスでした。生後4~5カ月齢でした。学校に来てしまった迷い犬は、誰かが飼わなければ保健所送りになってしまうので、そのままその生徒の担任である中川さん(先生)の家の犬となったのです。6月に保護されたので、ジュンちゃんと名付けられ、子供のいない中川さんご夫婦の大切な子供として、穏やかな日々を過ごしていました。
◇ ◇
あるときジュンちゃんは、くしゃみ鼻水が止まらなくなり、動物病院に連れてこられました。一般的な治療をしてもあまり改善が認められず、気づくと1カ月が経っていました。しかも目ヤニも酷くなってきたとのことでした。
これは、頭蓋骨の鼻の奥の部分のがんが疑われました。しかし、頭のレントゲンをとっても、頭蓋骨が邪魔をして、その頭蓋骨の中がどうなっているかはわかりません。レントゲンは骨を写しますが、骨で囲まれた空間の内部を写すことは出来ないのです。それを確かめるためには、CT検査が必要になります。費用もかかりますが、中川さんに説明すると、すぐに『お願いします』とのことでしたので、検査をすることになりました。
結果はやはりがんでした。鼻腔腺癌…悪性度の高い腫瘍で、しかも鼻の奥に出来ているので、メスを入れて取り出すのは非常に困難でした。鼻の奥は脳のすぐ隣でとても近く、さまざまな神経が通っているので、西洋医学的治療の第一選択は放射線療法になります。
当時、私の勤務している病院には放射線治療の装置はありませんでしたので、放射線治療を受けるには、ここから車で1時間かけて隣の県の動物医療センターまで毎週通わなければなりません。その労力もさることながら、ヒトと異なり保険が効かないので、費用もかなりのご負担になります。
私は途方に暮れながらその説明をし終えて、「…ということなのですが、どうなさいますか?」とお聞きしたところ、中川さんは意外にもニッコリと微笑んでおっしゃいました。
「出来る限りの、最高の治療をしてください。放射線治療にも通います。」
通常、このような難しい状況になると、迷われる飼い主さんが多いのですが、あっさりと決断されました。そして、こうおっしゃいました。
「この子、100万円以上貯金があるんですよ!」
「?」
私がわからないというような顔をしていると、中川さんは話し始めました。
◇ ◇
実は、ジュンちゃんが家でひとりお留守番するときは「時給100円で警備のアルバイトをした」ことになっていました。お父さんが毎月ごとに「アルバイト時間」を計算し、ジュンちゃんの銀行口座に「お給料」を振り込んでいたというのです。ジュンちゃんは10歳を超えていたので、かなりの金額が貯まっていました。
昔は身元の確認できるものがなくとも銀行口座を簡単に作れたので、中川ジュンという名義で銀行口座を作っていたそうです。こうして、ジュンちゃんは、家族に気兼ねすることなく、自分の稼いだお金で「出来る限りの最高の治療」を受けることが出来ました。
…残念ながらその後、ジュンちゃんはそのがんが原因で亡くなってしまったのですが、私は今でも、ときどきジュンちゃんと中川さんのご家族のことを思い出します。
最近、ペットの医療保険というのがクローズアップされていますが、中川さんのようにご自分のペットのために月々貯金をする、という形でも良いと思うのです。
ほかの飼い主さんでも、家族で飼っておられるマルチーズのために、4人家族全員がひとり500円ずつ月々貯金されている方がおられました。10年後、手術をすることになりましたが、この積立貯金で十分支払うことが出来ました。
しかも「アルバイト代」という名目で貯金をするなんて、とても素敵なことをなさったなぁと感心します。中川さんご家族にとっては、犬も家族の一員であり、中川さんには、日々の何気ない生活を豊かに過ごすアイディアがあり、素敵な暮らしをされている方だったなぁ、と思っています。
いろいろ考えさせられた、思い出深いジュンちゃんでした。ジュンちゃんのご冥福をお祈りいたします。
(獣医師・小宮みぎわ)
◆滋賀県近江八幡市で動物病院「キャットクリニック~犬も診ます~」を開く獣医師の小宮みぎわさん。診察で出会ってきた動物たちとの思い出を紹介します。