「怠け病だと思った。情けなく誰にも言えなかった」…家にこもり暴れた息子 父の後悔
見たこともない目で、自分をにらみつける息子がいた。「このままじゃ、やられる」と、本能的に恐怖を覚えた。妻は、おびえ、泣いていた。家の中はもう、ぐちゃぐちゃで「地獄」だった。だが、一歩外に出れば「幸せだった」。勝手とは思うが、起業家として仕事をしていれば、すべてを忘れられた。息子のことは誰にも何も話さなかった。もし知られれば、取引先などに伝わり信用を失うかもしれない。家族で抱え込むしかなかった-。
川崎市と東京都練馬区の事件を機に、「8050問題」に注目が集まる。そこから浮かび上がるのは、根強い偏見にさらされ、社会から孤立し、人知れず悩みを募らせていく当事者や家族の姿だ。ひきこもりから精神障害を発症した息子を持つ鹿島さん(70代、仮名)もその一人。息子を手に掛けた元農水事務次官を「とても他人事とは思えなかった」と話す。
鹿島さんは九州の片田舎で生まれ、祖父母の家で育てられた。迷惑を掛けられないと昼間働き夜間高校で学び、奨学金を得て大学に通った。「自分で何とかするしかなかった。だから、どこに行って何をやろうが、何も言われない。自由だった」と振り返る。卒業後、物販の仕事を経て、関西地方の皮革関係の会社で働いた。結婚し、30歳で独立。そのとき生まれたのが、息子だった。
忙しくて帰宅は午前様になることもしばしばだった。それでも、息子は「心底、かわいかった」。明るくて、心優しく、いつも友達を家に呼んでは遊んでいた。親の帰りが遅い友達に『一緒にうちでご飯食べへん?』と声をかけることもあった。鹿島さんも、仕事が休みの日には息子のスポーツクラブの応援に行った。
だが、中学に入ってしばらくして、小さな異変が起きた。普段は元気いっぱいだが、授業中に勝手に廊下に出たり、授業の邪魔をしたりするようになり、担任が度々家庭訪問に来るようになった。「もしかしたら、どこか生きづらさを感じていたのかもしれない。でも当時は『男の子だし、それぐらいの方が元気があっていい』と気にも留めなかった」。担任も「どうしようもない」とあきらめたようだった。
反抗期になると、親に激しい言葉や態度を取るようになった。車に乗れば助手席で「あっちへ行け!」「こっちに行け!」と指示し、不満があるとガラスを殴った。当時流行していたダボっとした服を着て出歩き、「金くれ」とすごみ、出さなければ暴れることもあった。
ただ、そうしたことも、高校に入って没頭できる趣味を見つけると、次第に収まっていった。息子は大学進学を機に単身、東京へ。卒業後、仕事を始めたものの人間関係などで行き詰まり、家に閉じこもるように。自殺未遂などで警察沙汰になり、自宅に連れ帰った。
自宅では、部屋を趣味のもので満たし、自分の世界に入っていた。「情けなかった。自分は『親無き子』で一人で必死でやってきたから、特に。住む家はあるし、親のすねをかじって好きなことだけをして…と許せなかった」。「あれは性分。怠け病だ、と思い込んでいた」。そんな父の態度に息子も反発し、怒鳴り散らし、食ってかかるようになった。
「このままでは、外で何かしてしまうかもしれない」と感じ、鹿島さんは「簡単な診察だけ」とウソをついて息子を精神病院に入院させた。統合失調症と診断された息子は暴れ、3日間、全身を拘束された。「あのときは本当に追い込まれていて、他に方法がないと思った。でも、拘束されトイレにも行けず、どんなに苦しかっただろう。私は、あの子に消えない傷を与えてしまった…」と、苦しげに言葉を続ける。
息子が退院しても、どう接していいか分からなかった。息子は機嫌が悪くなると「弁護士を呼べ」と叫んだ。そこで声を掛けた知人の弁護士が偶然、統合失調症の親族がいる人だった。弁護士は、ゆっくりゆっくり、息子の話に耳を傾けた。鹿島さんは初めて、他人に息子のことを話した。「あなただけじゃないよ」といわれ、「本当に、救われた。あの人に出会えなかったら、私も息子を殺めていたかもしれない」と振り返る。
「今でこそ、心の病は誰でもなりうる病気だといわれるようになったけれど、私の育った時代や息子が引きこもった時代は、偏見も強かったし、そもそも知識すらなかった」と鹿島さん。「事件が起きると、『相談していれば』といわれるが、立場上、会社や社員を守らなければならない。言えば全てを失ってしまう。立場があるからこそ、誰にも言えなかった。とても言えるもんじゃないんです」
その後、長引く景気低迷で男性は会社をたたみ、しばらくして、精神障害者の家族会に出会った。いま、同じ悩みを持つ家族同士、話をしたり、聞いたり。みんな「育て方が悪かったのか」と苦しみ、「あれがダメだったのか」と後悔していた。そして一歩でも踏み出せるよう、何が必要なのか一緒に探している。息子も、体調の波はあるが、少しずつ、もう一度自分の道を歩みつつある。
「まさか、自分の息子がこんなことになるなんて、夢にも思わなかった。でも、誰でも起こりうることだからこそ、小学校からでも幼稚園からでもいい。子どものころから、『心』について学んでほしい。そして、他人事と思わないでほしい」。鹿島さんの、心からの願いだ。(まいどなニュース・広畑千春)