「このままじゃ、ダメになる」ママの叫び 「赤ちゃん先生」に救われる
子育て中のママが、赤ちゃんと一緒に学校や企業を訪問し、赤ちゃんとママの姿を通じて命の大切さを伝えたり、子育て支援のアドバイス役になったりする「赤ちゃん先生プロジェクト」という活動が全国に広がっています。今の日本では仕事を辞めても続けても、出産・子育ては「キャリアの中断」と言われがちです。でもその経験自体を一つの「キャリア」として、新たな仕事や自分のステップアップにつなげることができたなら…。子どもと一緒に働き始め、「自分が変わった」という女性に、話を聞きました。
赤ちゃん先生プロジェクトは、NPO法人「ママの働き方応援隊」(神戸市長田区)が2013年から行っている事業で、子どもと一緒に出前授業や企業の研修などを行っています。ママが働くとなると、まず子どもを保育園に預けて…となりますが、赤ちゃん先生は預ける必要がなく、しかも普段のありのままの子育てを伝えるのが仕事。ママの新しい働き方の一つとして注目され、現在、全国で約2600人が「個人事業主」として活動しています。神戸市長田区を中心に活動する樽井文さん(35)もその一人です。
薬剤師として病院でバリバリ働いていた樽井さんは6年前、長男の出産を機に仕事を辞めました。なかなか授からなくて、ようやく生まれてきてくれた我が子。愛おしくてたまりませんでしたが、赤ちゃんとの日々は、想像とは全く違いました。
起きている間は、ほぼ3時間おきに授乳し、おむつを替え、お風呂に入れ、抱っこで寝かせて…。眠っている間に家事を済ませ自分の食事をササっと取る。子どもはかわいいけれど、あやしたり声をかけたりしても、生後まもなくは反応も乏しく、気付けば誰とも話さないまま夜になっていることが1カ月半ぐらい続きました。
一方で月齢ごとの発達が気にかかり、ネットで調べては不安になり、しゃっくりが続くなどいつもと違うことがあるたび、小児救急相談に電話。夫の帰宅は夜になってからでしたが、「頑張って早く帰ってくれても適当な食事しか作れない」「一緒にご飯を食べたいけれど、8時には子どもを寝かせないと」…。「これまでの経験なんて何にもならない。そもそも仕事も辞めてキャリアもポジションも無くなったし、自分は何にもできないんだ、と思い込んでいた」と振り返ります。そして長男が生後3カ月になったころ、樽井さんは布団から起き上がれず、動けなくなり、吐いてしまいました。
「このままじゃ、ダメになる。外に出ないと」。2カ月後、体調が戻った樽井さんは、出産後初めて電車に乗り、以前助産師に聞いたことがあった「赤ちゃん先生」の講座に出かけました。その後、6カ月になった長男と中学校を訪問。エコー写真を見せながら、これまでを思い出し泣いてしまった樽井さんの姿に、中学生たちも「何かを感じ取った様子だった」と振り返ります。そして2~3時間の授業の帰り道、車の後部座席でぐっすり眠る長男に「今日も二人で頑張れたね」と声を掛けては「私にも、できることがあった。すごく満たされた気持ちになった」といいます。
仲間のママたちの存在も、大きなものでした。「〇〇ちゃんのママ」ではなく、名前で呼ばれ、子育ての悩みも「私も」と共感してくれる。かつての職場では、樽井さんがキャリアアップを望んでも無視されたり、「どうせ子どもが生まれたら辞めるんでしょ」と言われたりしていましたが、「悩んでいることも含めて、私という一人の人間を見てくれて、評価してくれているんだと思えた」と樽井さん。次第に積極的に発言するようになり、トレーナーとして地域の赤ちゃんママの活動をサポートする立場になりました。
振り返れば、薬剤師という仕事すら、本当は学校の先生になりたかったのに、父に言われて進んだ道でした。「ずっと、自分の人生が面白くなかった。でも、子どもと一緒に働き始めて全てが変わった。夢だった先生役にもなれたんです」と笑顔を見せます。
そんな樽井さんは昨年、再び薬剤師として調剤薬局のパートを始めました。きっかけは、子育てでの薬の悩みでした。「子どもが病気になったとき、座薬をどこまで押し込んでいいか、どう切っていいのか。もらった薬を吐いたら飲み直した方がいいのか、分からないことばかりだった。でも、昔は『親ならできる』と思い込み、座薬の使い方も『熱が出たときに』と伝えるだけだった。ママの視点を、現役の薬剤師や学生さんたちに伝えられたら、もっと安心して薬を使えるようになるんじゃないか…って」
「もう二度とすることもない、と思っていた薬剤師という仕事が、もう一度、自分の夢になった」と樽井さん。その笑顔はキラキラと輝いていました。
(まいどなニュース・広畑千春)