人間魚雷「回天」の舞台に込めた俳優の思い…藤田まことさんの背中から学んだ戦争
北方領土問題を解決する手段として「戦争」という選択肢を口にした30代国会議員の発言によって戦後74年を経た今、「もはや日本は“戦後”ではない」という言説が改めて現実のものとして実感させられた。そんな世相を背景に、特別攻撃隊「回天」を題材とした舞台を6月末に上演する俳優の思いを聞いた。その背景には名優・藤田まことさん(2010年死去、享年76)の背中があった。
「回天」とは大日本帝国海軍が開発した人間魚雷。太平洋戦争末期、人間が魚雷の中に入って操縦しながら標的にぶつかる兵器である。途中で脱出する装置はなく、出撃した乗員は全員玉砕。標的に激突して爆死か、的を外しても窒息死などで命を落としたという。
その回天を題材とした「舞台 たからモノ」が6月28から30日まで都内の劇場「座・高円寺2」で上演される。プロデューサーであり、この回天に乗るはずだった“生き残り”の老人を演じる俳優・若林哲行(72)はテレビ朝日系ドラマ「はぐれ刑事純情派」にレギュラー出演したベテラン。JR高円寺駅前でおでんなどが名物の飲食店を営んでいる。
若林にとって「はぐれ刑事~」で主役の安浦刑事を演じた藤田さんは人生の指針を背中で教えてもらった大先輩。戦争に対する思いも受け継いできた。
「藤田さんは南方で亡くなったお兄さんの出征時のセピア色になった写真を懐に1年中、持っておられました。あの方は葬式には一切、行かなかった。お兄さんが戦死して葬式もあげられず、ご遺体も帰ってきていないので『知人や親族であっても、葬式には行けない』という思いがあったのだと思います」
昨年、回天の基地があった山口県・大津島の近く、周南市と柳井市で同公演を行った。
「大津島には記念館があり、回天のレプリカのそばに森繁久彌さんの石碑がある。『わが友よ、この海で眠り給え。人生において無駄なことが何一つあろうか』と記された森繁さんの詩には『あなたたちの死を無駄にしない』という思いが込められている。僕は戦後のどさくさは経験していて、こういう形で亡くなった人たちがいた~ということを演劇人として表現したい」
若林は周南市での公演で印象的な出合いがあったと振り返る。
「車いすに乗ったまま、無言で敬礼されて出ていかれた高齢の方がいた。遺族か、あるいは回天に乗ったかもしれない人だったのかもしれません」。若林は「どこか狂ってたのかもしれないけど、悲しいことがまかり通った時代が、70年ちょっと前にあったんですよ。爆発する装置を自分で押すんですよ。人間が兵器になっちゃうんです」と回天を語る。
若い俳優も多く出演する。冒頭の国会議員のように、戦争をゲーム感覚で捉えがちと指摘される世代だが、若林は「今の若い役者さんは真剣でまじめに勉強しています」と語る。藤田さんの戦後を生きた思いも胸に刻み、今回が通算3度目、初演の地・高円寺での公演を目前に「死ぬまでやっていきたいと思っています」。ライフワークとする構えだ。(デイリースポーツ・北村泰介)