伊丹映画「タンポポ」モデルのラーメン店、無念の閉店…店主妻が急逝、失われた「庶民の味」
故伊丹十三監督の映画「タンポポ」のモデルとされるラーメン店「珍元」(京都市中京区壬生相合町)が、昨年9月に閉店した。店を切り盛りしていた堀啓子さんが交通事故で亡くなったためだ。40年近くにわたり多くの人々に愛された「庶民の味」があまりにも突然に失われ、常連客から惜しむ声が相次いでいる。
阪急電鉄の四条大宮駅から徒歩5分ほどの場所にある珍元は、堀弘三さん(85)と啓子さん夫婦が1982年に開業した。しょうゆ味の中華そばを基本に、チャーシュー麺、ワンタン麺、ギョーザなどを出した。中華そばの「並」が550円と庶民的な値段設定も人気を集めた。10年ほど前に弘三さんが体調を崩し、長女の繭子さん(40)が母を手伝うようになった。
京都市出身の伊丹監督は85年公開の「タンポポ」の取材のため、製麺所の紹介で来店。妻で女優の宮本信子さんと息子の3人で訪れ、調理の様子や店の外観を熱心に見つめたという。
「当時は店の2階に住んでいて、布団が外に干してあったので、恥ずかしかったと母から聞きました」と繭子さんは振り返る。
その際に伊丹さんと宮本さんに書いてもらったサイン色紙は店内に飾られた。「タンポポ」のモデルと聞いて訪れる映画ファンも少なくなかったという。
しかし、昨年9月3日に自転車に乗っていた啓子さんが市内で車にはねられ、頭を強く打って3日後に亡くなった。72歳だった。珍元はそのまま閉店を余儀なくされた。入り口に閉店を知らせる張り紙をしたが、詳しい事情には触れなかったため、店の隣にある自宅を訪れる常連客が相次いだ。訃報を聞いて「長い間お疲れさま」と花束を持って来る人もいたという。
四十九日が過ぎた頃に一部の常連客から、珍元の味や思い出を語り合う会を開きたいという申し出があった。繭子さんは残してあったスープを提供し、のれんや伊丹さんのサイン色紙などを貸し出した。
「閉店し、あらためて多くの人々に支えられてきたことを実感している。長年この店を愛してくれた皆さんに感謝の気持ちを伝えたい」と繭子さんは話す。
(まいどなニュース/京都新聞・樺山聡)