桜を見る会より沢尻エリカ「僕らは所詮その程度」 森達也監督が語る新作、メディア、社会
内閣官房長官の記者会見で存在感を示し、今年6月に公開された映画「新聞記者」の原案にも名を連ねる東京新聞の望月衣塑子記者を通して、今の日本のメディアや政治が抱える問題を浮き彫りにしていくドキュメンタリー映画「i -新聞記者ドキュメント-」が15日から全国で順次、公開されている。監督は、オウム真理教の広報副部長(当時)荒木浩を主人公に、教団の内側から日本社会を見つめた「A」と「A2」、ゴーストライター騒動で物議を醸した音楽家佐村河内守に密着した「FAKE」などの作品で知られる森達也。正誤や善悪などの単純な二項対立を超えた豊かな視座を提示してきた森監督は、本作にどんな思いを込めたのだろう。舞台挨拶前の映画館の楽屋を訪ねた。
■実は「なし崩し的」に始まった企画
映画の冒頭、改めて驚嘆させられるのは、小柄な望月から放たれる圧倒的なエネルギーだ。仕事のスイッチが入った望月は、とにかく喋りまくり、動きまくる。
「前作の佐村河内さんや、その前の荒木さんも、すごく間(ま)が多いタイプでした。だからショットに意味を込めやすい。でも望月さんは間をほとんど作らない。ある程度予想はしていましたが、実際に撮り始めてみると、それ以上。面食らいました」
もともと森監督は、本作のプロデューサー河村光庸の依頼で、「新聞記者」の監督をする予定だった(河村は「新聞記者」の企画・製作などを担当)。しかし結果的に森監督はそちらを降板し、河村が温めていたもう1本の企画、つまり望月のドキュメンタリー(本作)を撮ることになったという。森監督は「河村さんのオファーありきで、まあなんとなく、なし崩し的に始りました」などと身も蓋もないことを口にする。では、テーマはどう決めていったのか。
「テーマは当然ながら、やっぱり現政権に対しての…うーん、違和感というのかな。いろんな不祥事がなんとなくはっきりしないままでどんどんフェイドアウトしていることに対しての違和感。望月さんはもちろん、それをちゃんと形にしたいと思って取材をしている。僕もそれに同行する形で取材をしながら、でも多分それだけでは映画にならないな、と思っていました」
「極端に言えば、テレビの人間密着ドキュメンタリー番組みたいなね。それだったら楽ですよ。望月さんが日頃どんな取材をしているか、そういった要素だけを撮って、『これからも望月の戦いは続く』というナレーションで締めればいい。でもそれはテレビです。少なくとも僕の映画ではない」
「政治だけを批判してもしょうがない。だって、政治家を選ぶ主体は僕たちです。メディア批判も同じことです。主体はこの映画を見ている『あなたたち』なんだと、逆照射することを意識しました」
■当たり前のことをしている望月記者が目立つのは何故か
さて、彼女を一躍有名にした記者会見場での菅義偉内閣官房長官とのやりとりは、本作にも盛り込まれている。だが、そもそも、おかしいことをおかしいと言い、疑問に感じたことを記者会見で納得いくまでぶつけようとする彼女が、良くも悪くも何故ここまで目立ってしまうのか。
「望月さんは、決して完璧な記者じゃないですよ。いろいろ至らないところもあるし、過剰すぎるところもあるし、ネットでもたまに批判されているように質問もはっきり言って上手くないです。このように欠点はたくさんあるけど、そのマイナスを加味しても、プラスの部分がこれだけ目立ってしまう理由は、周りがみんな記者としてやるべきことをやっていないからでしょう」
「やるべきことの最優先は、やっぱり権力監視です。それはジャーナリズムの一番重要な使命のはずなのに、最近はそれがほとんど果たされていないんじゃないかなという気がします。何か疑惑なり不祥事なりがあったときに、安倍首相のぶら下がり取材や記者会見なんかで、どうしてもう一歩突っ込んだ質問ができないのかと、もどかしく感じることがしばしばあります。記者の皆さんは『国会で追及すればいい』と思っているのかな。でも与党がこれだけ多いと、自分たちにとって不都合なイシューであればあるほど、野党の追及にはなかなか応じないでしょう。森友・加計問題も結局はグレイのままです。ということは、メディアが最後の砦なんです」
■記者が行儀よく、おとなしくなった
森監督はかねてから、1995年の阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件を契機に、日本社会が大きく変節したことを繰り返し指摘してきた。不安と恐怖に対する漠然とした危機意識を媒介に、人々の「組織化」「集団化」が一気に加速したというのだ。本作において森監督は、その結果としての「思考停止」がメディア内部にも蔓延していることへの危機感をにじませる。
「集団のセキュリティ意識が過剰になると、異質な人を排除するようになります。つまり、集団化は分断化とイコールです。まさしく今の世界情勢です。違う集団同士で敵視し合う、そういう傾向も進んでしまっていますよね」
「メディアに限らず、会社であったり団体であったり、自分はそこに帰属しているという意識ばかりが強くなっているように感じます。もちろん普通の会社であればそれで成り立つこともあると思いますが、メディアは、ジャーナリズムは違うだろうと。上司の指示に従い、規則を守り、9時から5時まで働いてハイ終わりって仕事じゃないですから。ひとりひとりの記者やディレクターが“会社員”になっていることへのもどかしさはあります。非常に行儀よく、おとなしくなって、周りに合わせるのが上手い。その象徴的な縮図が、望月さんが出ている記者会見に現れているんじゃないかなと思います」
■メディアは社会の合わせ鏡
本作は東京国際映画祭で「日本映画スプラッシュ部門」の作品賞に輝き、一般公開後は「ぴあ映画初日満足度ランキング」で1位になるなど、熱い注目が集まっている。
「初日、2日目に見てくださるのは『望月頑張れ』って人が多い。そういう人たちからすると、今の望月さん以外のメディアは“マスゴミ”。でも僕は、もしメディアがマスゴミだとするならば、僕らもゴミですよ、と言いたい」
「あれだけ『桜を見る会』の問題が取り沙汰されていたのに、沢尻エリカが逮捕されたらその話題一色になる。理由は視聴率が稼げるから。そして、視聴率の主体はテレビではなく社会です。常々思っていることですが、メディアは社会の合わせ鏡で、つまり僕らはその程度のレベルだということなんです」
「もちろんこれは社会だけの責任ではなくて、メディアの側も『これは数字取れないけど、やるぞ!』という気概みたいなものが以前はもう少しあったと思うんです。さっき言った『組織の論理』がどんどん強くなるってことは、みんなが喜ぶことしかやらなくなるということ。メディアも営利企業ですから。でも、ジャーナリズムがそもそも社会でどういった機能を任されているのかってことを、本当はもっと考えるべきですよ」
「権力は腐敗するし、暴走する。それは当たり前。だからメディアがしっかりウォッチして伝えないと。これだけ疑惑や不祥事が相次ぎながら、安倍首相の在任期間が憲政史上最長記録を更新した理由のひとつは、メディアが機能していないからだと僕は思います」
■「i -新聞記者ドキュメント-」はエンタメだ!
…と、少し堅苦しい話になってしまったが、実は本作は徹底的に「エンタメ」である。望月衣塑子というユニークなキャラクターを軸に、時に笑える場面を交えながら、「個」であること、「一人称単数」の視点を持ち続けることの大切さを訴える。
「ドキュメンタリーっていまだに教条的で、啓蒙的で、モノクロフィルムで、眠気を誘うようなものだと思っている人も少なくありませんが、全然違います。僕は自分のスタイルに拘泥する気は全くないので、今回は少し遊びたいと思って、音楽やテロップ、アニメーション、画面のマルチ分割など、いろいろな手法を試してみました」
「笑いもそう。『A』も『FAKE』も笑えることをかなり意識して作ったんだけど、みんな笑うのを我慢して、見終わってから『あれ笑ってよかったんですか』なんて言うんです。『i』も遠慮無く笑ってください。笑いながら大切なことを受け取ってもらえる自信はありますから」
これからも森達也の戦いは続く。
「i -ドキュメント新聞記者-」 https://i-shimbunkisha.jp/
(まいどなニュース・黒川 裕生)