震災に家族引き裂かれた”弾き語りべ” 路上生活も経験…神戸復興のシンボルで念願単独ライブ
いよいよ、その日が迫ってきた。神戸を拠点に活躍するフォークシンガーの作人(さくと=35)が12月29日に神戸国際会館こくさいホールで単独公演を行う。年が明けると阪神淡路大震災から25年。自身の被災体験をもとに家族の絆、命の大切さを歌い続けており、ひとつの集大成だ。これを機にさらなるステップアップを目指す。
神戸で育った作人さんにとって神戸国際会館は特別な響きを持っている。憧れの場所であり、震災からの復興のシンボル。しかも2000人を超える規模での単独ライブは自身初めてとあって、気持ちも日増しに高ぶる。
「いまの自分なら伝えたいことを心から歌い上げることができる。そう思っています。いろんなことが全てつながっているって。みなさんにぜひ聴いていただきたいです」
小学4年生だった1995年1月のあの日、神戸市内で被災した。自宅は倒壊し、当時17歳の姉を亡くした。やがて家族はバラバラに。明石商時代は友人の家に寝泊まりし、何とか卒業した。
ドラマのような壮絶な過去。「震災さえなければ…」と時代をうらみそうになったとき、希望を与えてくれたのが兄からもらったギターだった。しかし、一時は生活も荒れ、神戸の街の片隅で路上生活も経験した。破棄されたコンビニ弁当を食べたこともある。
「このままではいけない」。一念発起するきっかけとなったのはやはり姉の存在だ。「自分の怠慢でホームレスをしていたとき、ふと頭をよぎったのが頑張り屋さんだった姉のこと。姉に胸を張れるような生き方をしなければ」
すぐさま加古川市へ向かい、田代家の墓参り。なけなしのお金で買った線香を上げ、手を合わせた。その後も節目で何度か墓参りしたそうだが、しばらくは違う田代家の墓だった、というのはいまとなっては笑い話だ。
2010年11月、姉への思いを綴った「Dear Sister」でメジャーデビュー。いきなり、デビュー月の日本放送優秀新人に選ばれ、40以上のメディアに取り上げられた。「震災から15年。やっと姉のことを歌えるようになった」
その後、一部で震災を売り物にしている、と言われ、方向性に悩んだ時期もあったというが、いまは依頼があれば地域を問わずにどこでも出掛け「弾き語りべ」として自身の体験を伝えている。
確かに、生きるって難しい。だれもが悩み、迷っている。しかし、世の中捨てたものではない。
「自分がしっかりすることも大切ですし、人は支え、支えられている。お金で買えないものがたくさんある」
デビューから9年。日々の積み重ねから今回、書き上げた曲が「ここに全部繋がってたよ」だ。実際、高校時代に転がり込んでいた友人宅にいた弟に最近、偶然ある場所で再会する縁もあった。
「一度きりの人生だから悔いは残したくない。人のつながり、命の大切さを伝え、神戸に恩返ししたい」
大きな夢はNHK紅白歌合戦出場。震災前の大晦日、家族団らんで観たあの日がいつも心にあるからだ。
当日はなぜかテレビ番組「さんまのまんま」のマスコットキャラクター、着ぐるみの「まんま」も応援に駆けつける。
復興のシンボルで歌い上げる、その切なくて、力強いメッセージは聴く人の魂にきっと届くはずだ。
◇チケットなどの情報はhttp://sakuto.me/
(まいどなニュース特約・山本 智行)