中曽根氏、去りて残る「前川リポート」 人口減少で一段と重要な視点に

 2019年を振り返っての話題といえば、元首相である中曽根康弘氏の死去を挙げる人も多いのではないか。

 中曽根氏といえば「三角大福中」で頭角を現し、自民党の実力者になった。首相時代には、国鉄など3公社の民営化、ロン・ヤス関係、プラザ合意、消費税導入の先べんになった売上税などがキーワードだろう。ただ、現象として表に出てこないが「他にも注目すべき業績があります」と話すのは農水省・農林水産政策研究所の桑原田智之氏だ。

 桑原田氏が挙げたのは「国際協調のための経済構造調整研究会報告書」だ。農水省の官僚から、この名前が出てくるのは意外かもしれない。通常は「前川リポート」として知られる。1986 年4月に報告書をまとめて、当時の中曽根首相に提出した研究会の座長が元日銀総裁の前川春雄氏だったことから、こう呼ばれている。中曽根氏が主張したのは戦後政治の総決算だったが、桑原田氏は前川リポートを「戦後『経済』の総決算をめざした」と評価している。

 リポートは「基本認識」「提言」「むすび」の3部構成だ。基本認識では、まず一方的な貿易黒字が持続的でないことを指摘したうえで、経済を統制せずに市場原理を基本にすること、さらに世界市場を視野に入れた施策が日本経済に求められていると主張した。提言では、これを各論に落とし込んだ。文字数の多寡はあるが言及した分野は、住宅、製造業、金融、農業、企業統治、消費(余暇の増加)といった具合で幅広い。むすびでは、市場原理の浸透と市場開放が日本の成長に不可欠だと強調した。

 「牛肉とオレンジの市場開放が国会で焦点になったのを覚えていますか」と桑原田氏はいう。現在40代の桑原田氏は当時学生だったが、連日の報道で印象に残っている人も多いだろう。日米の貿易摩擦を背景に米国が日本に対して貿易の自由化を求めてきた。1991年4月以降、徐々に輸出枠を拡大し、関税も引き下げた。

 「いま、どちらも海外で日本産は大人気で、国内よりも高い価格で流通しています」。1980年代の農水省は自由化反対の急先鋒だと思われていたが、いまでは肯定的な評価も少なくないようだ。

 かんきつ類の輸出で主力の温州みかんは、カナダのクリスマス向けに出荷するのが定着しているほか、日本食が人気を得ている香港や台湾でも需要が高まっている。皮がむきやすいことや、甘みが安定していることなどが海外の消費者に評価されている。牛肉は言うにおよばず。神戸ビーフは海外のお金持ちでも憧れのブランドだし、すでに「和牛」というだけで偽物が出回るほどの人気だ。それもこれも日本の市場を開放することで輸出も可能になった、貿易自由化の恩恵というわけだ。

 農産物の市場開放は、国際商品市場に参加することだから、いわゆるコモディティ化(普遍化や普及による付加価値の低下)の波にも巻き込まれる。そこから脱却するには、生産性や品質の向上を通じて付加価値を高めることだから、農家の「やりがい」つまり収入も当然増す。いまや農業は輸出の拡大が期待されている成長産業だ。「生産条件等で厳しい環境にある農業者に対しては農村政策・社会政策として支援を行う一方で、産業政策として農業の成長産業化を推進することが重要。これまでも、(市場開放の)結果として日本の農業は強くなっている側面があります」と、桑原田氏は話していた。

 1990年代後半から2000年前後にかけて「日本版金融ビッグバン」というのがあった。不良債権問題をきっかけに国内の金融機関が弱体化。護送船団方式の崩壊という形で、金融市場の開放を余儀なくされた。その時の掛け声が「フリー(自由)、フェア(公平)、グローバル(世界的)」だった。経済誌は、外資が日本を買い荒らすとばかりに書き立てたけれど、いまにして思えば牛肉・オレンジが騒ぎになったのと似ている。結果として、モルガン・スタンレーという米国で最も有力な投資銀行の1つは、筆頭株主が日本の三菱UFJフィナンシャル・グループだ。

 「それがバブルの元凶になったという批判はありますが、政府による経済統制を排することで、生産性が高まり業界を強くするという絵を、1980年代半ばにして描いていた」(桑原田氏)。それが前川リポートというわけだ。国鉄民営化も、原点はここにある。翻って2020年代の日本は人口減少がより急速に、より顕著になる時代だろう。メガFTA(大型の自由貿易協定)が相次いで結ばれる中で、世界の競争相手と、いかに公平

な条件で競争できるかというのは日本経済にとって死活問題だ。日本経済が最高潮だったころにまとめられたリポートは、いまなお重要な視点を日本経済に提供している。

(経済ジャーナリスト・山本 学)

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