被災地で起きたDVや「性被害」はなぜ伝えられなかったのか…阪神・淡路大震災25年、根深い理由
「ここは女性しかいないんですよね。それなら…」。25年前、阪神・淡路大震災から半年後に開いた女性対象の集まりで、その女性は重い口を開いた。
女性はシングルマザーで、仮設住宅で暮らしていた。幼い子どもを抱え頼る人もない中、初老の男性が何かと世話を焼いてくれた。「親切なおじいちゃん」と感じ、お礼に夕食に誘うと、態度は豹変し、「抱かせろ」と迫ってきたという。「悔しくて…」と唇をかむ女性は、「警察にちゃんと届けたの?」と聞かれ、一瞬押し黙った後、目に涙をため、言った。
「そこでしか生きていけないときに、誰にそれ(被害)を語れと言うんですか…」
■「皆が大変な時に、ワガママでしょうか」
阪神・淡路大震災では、6400人以上が亡くなり、約64万棟の建物が被害を受けました。長引く劣悪な避難所生活や、仮設住宅の問題、雇用…さまざまな問題と、それに立ち向かう人々の姿や「家族愛」が報じられました。ですが、NPO法人ウィメンズネットこうべの正井禮子代表理事は「実際は、性的な暴力や嫌がらせ、DV被害も起きていたのに、取り上げられることはほとんどなかった」と話します。
同法人が震災発生の約1カ月後から始めた電話相談に最初にかかってきた電話は、お腹に赤ちゃんがいる19歳の女性からでした。同棲する子どもの父親が「子どもなんか要らない」と殴る蹴るの暴力をふるい、相手の親に訴えても「あんたが息子を怒らせるから」。女性は「私は一人でこの子を産んで、育てていく自信がないんです」と涙声で訴えました。
別の女性は被災のストレスからか連日夫から暴力を振るわれると打ち明けた後、「皆さんが被災して大変なときに、こんな家庭内のつまらない相談をする私は、ワガママでしょうか…」と自分を責め、避難所で「大家族のようにいたわり合って」と美談として報じられていた女性も「家族でもないおじさんといつまで一緒に過ごさなければいけないの。安心して着替えもできない」と堰を切ったように泣き出したそうです。
「当時はDVという言葉すら知らなかった。でも、相談の6割は夫らからの暴力についてだった」と正井さん。ただ、それを指摘すれば、「大変な思いをしている夫を察してやれない妻が悪い」と批判され、プライバシーを守るための更衣室などを作るよう訴えても避難所運営は男性ばかりで「命がどうかというときに、ぜいたくだ」と切り捨てられたといいます。性暴力被害に至っては「フェミニストがデマを言いふらしている」とバッシングに遭い、以来10年近く、公の場で語ることはありませんでした。
■被害を裏付ける証拠がない
報道されなかった要因の一つが「被害を裏付ける証拠がない」でした。兵庫県警が2016年にまとめた「阪神・淡路大震災 警察活動の記録」には、震災発生から3月末までに機動捜査隊が近隣府県警の派遣隊とともに出動した件数として、強姦5件(前年同期比2件増)、強制わいせつ9件(同5件減)という数字も記されています。ただ、当時取材していた記者は「実際は起きていたのだろうが、認知件数が急増している-という訳でもなかった」と振り返ります。
当時は性被害は親告罪だったため被害を届け出なければ数字に残ることはありません。記者たちは「警察広報などでレイプなどの事件が公になるケースはほとんどなく、殺人などが絡まない限り、当事者取材はおろか報じることもタブーに近かった」とし、「避難の長期化で問題が噴出する中、あいまいな記事で混乱を招くより、被災地を元気付ける記事や役立つ記事を優先させたい、という思いもあった」と話します。
■「危険だから隠す」では変わらない
阪神・淡路の苦い経験をもとに、東日本大震災では女性団体が調査を行い、レイプなどの性被害やDV被害が起きていた事実が浮かび上がりました。熊本地震でも子どもへの被害が報告されています。
阪神・淡路から10年後、「あのとき避難所で着替え中に感じた男性の視線が、今でも着替えのたびにフラッシュバックして怖い」-と訴えた女性もいました。「たとえ何年経っても、言葉にすることもできない被害者たちは少なくない」と正井さん。多様な性を含め、性はその人そのもの。「『危険』を前提に『隠す』のではなく、女性が避難所運営や復興計画に参画することや、加害者側へのアプローチなどを進めることで、対等な存在として『安全に過ごせるのが当たり前』な環境を作ることが必要ではないでしょうか」と力を込めます。
災害時に露見する問題は、突然生じるのではなく、普段からある格差や問題がより深刻化するのだといわれます。当時被災地で何が起きていたのか、真実はいまだ闇の中です。
あれから25年。災害も相次ぐ中、私たちの社会は、女性たちの声を受け止められるようになっているのでしょうか。
(まいどなニュース・広畑 千春)