【追悼】野村監督、2度球団追われるも夫人を心底信頼…自慢は「サッチーは田中角栄と交流ある」
月見草が突然逝った。サッチーこと、沙知代夫人と同じ病名だった。テスト生から這い上がり、生涯一捕手を貫いた。選手として実績は超一流。監督としても名将でありながら死ぬまでコンプレックスを抱いていたように私には思える。
野村克也の脳裏にはONという輝いた2つの星の存在が焼き付いていたからだ。当時の南海ホークスの監督であり関西のドンと言われた鶴岡一人との関係も微妙だった。戦後初の三冠王を獲得しても「お前一人の力で取ったのではない」と厳しい言葉を返されたこともあった。
1977年だから随分と昔の話になる。南海(現ソフトバンク)の担当記者だった私は、この年の夏に野村監督が更迭される情報をいち早くキャッチした。愛人だったサッチーが助監督のように振る舞い、現場介入。大阪球場で打撃コーチに前夫の連れ子2人を指導させたり、主力の門田博光選手に「監督の言うこと聞かなければ、試合に使わないわよ」と口出ししてもいた。
球団側はこれに激怒。南海電鉄の川勝伝オーナーだけは野村をかわいがっており「吉見くん!なんとか野村を助けられないか。彼女(サッチー)とは別れられないか?」と自宅で語ってくれたが、野村はサッチーを選び、大阪を離れた。
担当記者時代、野村の好感度をアップしようと2人で自主トレを企画したことがある。慌ててジャージを購入し、近くの公園をランニング。その場面を紙面に掲載。ときには自宅から球場に向かうリンカーンに同乗させてもらったこともある。
そんな中で感じたのはとにかく、野村はサッチーを心底信頼していた、ということだ。野村監督は私にそのころ「サッチーは田中角栄、小佐野賢治らとの交流がある。金の事はすべて任せているんだ」と自慢していたこともあった。
2001年。しかし、歴史は繰り返された。野村は阪神の監督になっていたが、今度は沙知代夫人が脱税容疑で逮捕されてしまう。逮捕2日前に大阪の高級ホテル前で野村監督に「阪神が解雇決めましたね」と直撃した。「またお前か?疫病神だな!」と追い返された。ある意味、サッチーのために2度までも監督を辞めるのに一言も彼女の悪口は言わなかった。
サッチーに直撃すると「うるさいわね!私はなにも悪いことしてないわよ」と返されたが、2度も解雇の場面に立ち会うなんて奇縁としか言いようがない。
以来、玉川田園調布の野村夫妻宅の呼び鈴を再三鳴らしたが“疫病神”と言われ疎遠になってしまった。その後はみなさん、ご存じの通り。カツノリという球界でも人間的に評価される子宝に恵まれて野村家の夕食会をホテルニューオータニでよく見かけるようになった。野村夫妻の絆が深く強くなった事を実感したものだ。いみじくも2人は同じ病名であの世にいったが、それほど仲が良かったということだろう。2人に“疫病神”と言われなくなったのが淋しい。
ご冥福をお祈りします。
(まいどなニュース特約・吉見 健明)