志村けんさん、津軽三味線と「バカに徹するマジメさ」…先輩・仲本工事の証言「志村は努力家」
新型コロナウイルスに感染した志村けんさん(享年70)の訃報を聞いて、肺炎を克服して復活した2017年夏の「志村魂(こん)」を思い出した。06年から毎年行われている志村さんのライフワーク的な主演舞台である。記者が会場に足を運んだのは、うだるような猛暑だった8月9日の東京・明治座公演。津軽三味線の演奏コーナーで起きたハプニングから、舞台ならではの素顔が垣間見えた。
音楽好き(特にソウルミュージック)で知られる志村さんだが、津軽三味線にも打ち込んでいた。「志村魂」ではコントや喜劇に挟まれて津軽三味線の演奏コーナーがあり、その日は師匠の上妻宏光氏が作曲した「風林火山~月冴ゆ夜~」を演奏。ところが、序盤で音程が一瞬ずれた。そこでスルーして進行しても観客の多くは気づかなかったと思うが、志村さんはバチを持つ右手を止めた。
ネタかと思われたのか、客席で笑いが起きたが、志村さんは「緊張するよね、なんだか知らないけどね…」と真顔でつぶやいた。「テレビだったら何回でも(撮り直しが)できるんだけど、舞台は次の失敗ができないから」。そう言うと、気を取り直して最初から演奏を始め、難曲を最後までやり通した。拍手を浴びながら客席に一礼して背中を向けると、袴のお尻部分がくり抜かれていて、Tバックの臀部(でんぶ)をむき出しにしてオチが付いた。「頑張りました」では終わらせない姿に「マジメにバカをやる」芸人魂を感じた。
その翌年、ザ・ドリフターズの先輩である仲本工事を取材した際、偶然にも、この津軽三味線の話が飛び出した。仲本は「ドリフ全員が津軽三味線を隠し芸大会でやったんだけど、その後、今でも志村は弾きこなしている。一番の勉強家で熱心。加トちゃん(加藤茶)が天才型なら、志村は努力家」と指摘した。「マジメ」な姿勢は荒井注さんに代わって加入した時代から貫かれていた。
その津軽三味線の演奏を聞いた前年の16年8月、志村さんは大阪公演初日後に肺炎で倒れて緊急入院。その責任も背負っていた。09年6月、プロレスラーの三沢光晴さんがリング禍で死去した時、志村さんは自身のブログで「私も舞台の上で死ねたら本望です」とつづった。まさか、その当時、新型コロナウイルスという「目に見えない脅威」で覆われた今の世の中を誰が想像できただろうか。
舞台で死ぬことはかなわず、突然、風のように逝ってしまった志村さん。ただ、三味線演奏でつまづいた時につぶやいた「舞台は次の失敗ができない」という言葉は今も記憶に残っている。
(まいどなニュース/デイリースポーツ・北村 泰介)