「女人禁制に四苦八苦する」「ちょっと高野山へ行ってきます」…おもしろ業界用語・修験道編
険しい山に分け入って、ひたすら歩いたり真冬の滝に打たれたりして厳しい修行を積む修験道の世界には、俗世間でもよく耳にする言葉がある。真言宗當山派修験道教使・森口晃心氏に教えを乞うた。
■そもそも修験道ってナニ?
いきなり用語の話をしても興味が半減すると思うので、「そもそも修験道ってなんやねん?」という簡単な説明から。
修験道の開祖は、78世紀頃に大和の葛城山で修行した呪術宗教者・役小角(えんのおづぬ/生没年不詳)で、尊称である役行者(えんのぎょうじゃ)のほうが一般によく知られているようだ。
「修験道とは、霊山に入って修行を積み、験徳(げんとく)を顕わす道です」(前出・森口氏)
霊山は万物の根源の地とされ、験徳とは霊験を得ることをいう。霊山で修行することで、無明(むみょう=煩悩にとらわれて仏法が理解できないこと)や煩悩(ぼんのう)を滅するのだ。古来から日本にあった山岳信仰が仏教に取り入れられ、日本独自に信仰されてきた宗教ともいわれている。
修験道の実践者を「修験者(しゅげんじゃ)」とか、山と野に伏して修行することから「山伏(やまぶし)」と呼ぶ。
■天狗の鼻が高くなったのは室町時代の中期
「天狗」といえば、その姿は真っ赤な顔に高い鼻というイメージが定着している。じつは修験道と深い縁があって、そのイメージも時代によって変化している。
天狗は古代から近世にかけて、さまざまな姿で登場する。古代末から中世初めにかけては、いまだ悟りを得ていないのに得たと思いこんで慢心した僧の怨霊、あるいは山の神霊とされている。
鎌倉時代までにイメージされていた天狗は、顔には鳥のようなくちばしをもち、背中に翼があって空中移動ができる、いわゆる烏(からす)天狗と呼ばれているものだ。山伏の装束に身を包んでいるのは、この時代に山伏のイメージと重なったからだという。現在のように赤ら顔で鼻が高い特徴的なイメージができたのは、室町時代の中期以降である。ちなみに鳥類型の烏天狗に対して、鼻が高い天狗を「鼻高天狗」ともいう。
■女人禁制に四苦八苦
邪馬台国で卑弥呼が女王の座にあったように、古代では女性のほうが神霊と交信する能力に優れ、神をまつる中心的役割とされていた。のちに律令国家が整備されるにつれ、男性中心の社会が形成されると、女性は「けがれたもの」とみられるようになった。平安時代になると女性の地位はすっかり低いものとされ、しだいに信仰と深いかかわりをもつ寺院、山岳、祭、挙句には漁船や酒造の場も女人禁制になってしまった。
そんな風潮がようやく本格的に見直されるようになったのは、なんと昭和。それも戦後になってからというのだから、女性たちは長きに亘っていわれのない差別に四苦八苦していたわけだ。
この「四苦八苦」という言葉も、修験道用語に出てくる。
人は変わらないことを願って生きているから、久しぶりの知人と会ったとき「お変わりありませんか」と挨拶する。だが実際は、自分も周りも刻々変化しているわけで、そこからさまざまな苦しみが生じる。「生きる」「老いる」「病む」「死す」の「生老病死」を「四苦」といい、これに次の四苦が加わる。
◎愛別離苦(あいべつりく)……愛する者と別れることからくる「別れたくない」という苦しみ。
◎怨憎会苦(おんぞうえく)……怨んだり憎んだりしている者に「会いたくない」という苦しみ。
◎求不得苦(ぐふとっく)……求めるもの、ほしいものが「手に入らない」という苦しみ。
◎五陰盛苦(ごおんじょうく)……私たちの肉体や精神が「いつかは滅ぶ」という苦しみ。
これが「四苦八苦」の語源だといわれている。人生はまさに苦しみだらけと、悲観することはない。ときどき楽しいことがあるから面白い。
最後に番外編的な隠語をひとつご紹介しよう。
仏教における聖地として「高野山」が有名だが、お坊さんが「ちょっと、高野山へ行ってきます」といえば「トイレへ行ってきます」という意味だそうだ。トイレは「紙(髪)をおとす場」という意味から生まれた隠語だという。
(まいどなニュース特約・平藤 清刀)