「この家では産めない」18歳でホームレス妊婦に…支援受けられず公園で過ごした日々 コロナ禍の今伝えたいこと
お金もないし、交通費うかすために、めっちゃ歩かなだけど、仕方ない
子どもの為にも、せめて、できる所まででも、頑張らないと
最終死ぬ事になっても、やる所まで、できる所まで頑張ったからって言いたい
(ゆかさんの当時の日記より)
「何も頼れず、誰も助けてくれなかった」。関西地方の母子寮で2歳の息子と暮らすゆかさん(仮名、20歳)は、そう言って、2年前の経験を話し始めた。
妊娠が分かったのは18歳の春だった。相手はバイト先のキャバクラで出会った20歳年上の男性。家には居場所がないと感じ、「家族にあこがれていた」というゆかさんは、「最初から絶対に産むと決めていた」ときっぱりと言う。
会社員の父は厳格で世間体を重んじた。ゆかさんは父の勧めで地方の中高一貫校に入り、寮で暮らしたが、関西出身は一人だけ。否応なく目立ち、陰湿ないじめが始まった。高校まで耐えたが、耐えきれず退学。地元に戻った。
私学からは公立高に転入できず、定時制高校へ。「父は『期待して金も出したのに』と、口もきいてくれなくなった。学校の友達はバイトをして、服や持ち物もおしゃれで…。自由がまぶしくて、何よりもう、人と違うのが怖かった」。家に帰れば無視と、両親の夫婦げんか。「お金があれば皆と同じで居られるし、とにかく早く家を出たい」と始めたのが、友達に紹介されたキャバクラのバイトだった。
安定期を待って妊娠と「産むつもり」だと家族に告げた。母は賛成してくれたが、父は無言だった。無視は激しくなり、つわりが酷く横になっていると「ダラけんなよ!」とリモコンを投げつけられ、風呂に入っている時に湯を止められたことも。「この家では産めない」と9月初め、家を出た。妊娠6カ月だった。
サンダルに細身のパンツ、薄手の長袖ニット2枚と上着、貯金が10万円ほど。男性に連絡すると「家を借りる」と言ってくれたが、親名義だった携帯電話は間もなく止まり、音信不通になった。産婦人科で行政が運営する母子寮を勧められたが、対象はあくまで「母と子、もしくは子どもがいる妊婦」。第1子妊娠中は対象外とされ、未成年と告げると「早く家に帰りなさい」と冷たく言われた。「いくら帰れないと言っても、分かってくれなかった」
ゆかさんの住む市では妊婦健診補助がチケット制で、毎回数百数千円の実費がかかる。妊婦を雇ってくれるバイトもなく、健診代を節約するためホームレス生活を始めた。夜は街をひたすら歩き回り、陽が高くなると公園のベンチで仮眠。パチンコ店や駅のトイレで寝たこともあった。3日に1回ネットカフェでシャワーを浴び、服を洗濯した。フードコートでペットボトルに水を詰め、食事は1日パン1個やスーパーの試食を回った。何も食べない日も多かった。「それでも、お腹の子どもだけが支えだった。胎動が愛おしくて、エコー写真を見ては、頑張ろうって」
秋が過ぎ、冬に。サンダルと薄着では夜も厳しくなった。それでも、特に声を掛けられることはなかった。毎月の健診で訪れる産科には「家には帰れない」と打ち明けたが、返事は「実家があるでしょ」「ちゃんとお願いしてきてね」とだけ。待合室の幸せそうな夫婦の姿に胸が苦しくなり、勝手に涙が出た。
臨月に入った12月初旬、限界を感じたゆかさんは「家族に迷惑がかかる」と避けてきた警察署を訪れた。手持ちの現金はわずか2千円。妊娠前に45kgほどあった体重は約40kgに減り、歩きすぎたためか子宮口は妊娠7カ月の頃から2cm開いていた。歯は抜け、腎臓や肝臓の機能も弱っていた。事情を鑑みて母子寮に一時保護されたが、職員には「あくまで例外だからね」と念を押されたという。
年が明けて1月、男の子が生まれた。体重もしっかりあり、元気いっぱいだった。
晴れて「母」と「子」として、ゆかさんは母子寮に入所した。生後2カ月で息子を認可外保育園に預けて派遣や事務の仕事を始めた。朝7時に出て夜7-8時頃に帰宅し、息子を寝かしつけた後、パソコンを開いて内職をする。食事はまかないやコンビニの廃棄弁当などで節約し「息子と、自分の貯金ですね。あと免許も取りたいので…」と話す。
そんな中、望まない妊娠や子どもが育てられず悩む女性のための24時間相談窓口「小さないのちのドア」(神戸市北区)を知り、寄付を申し出た。「将来、私のような『特定妊婦』を助けるために働きたいと思っていたんです。窓口の助産師さんは私の話も聞いてくれて、大変だったね、頑張ったねって…。そんな風に親身になってもらえたのは初めてだった」とゆかさん。今も生活費を切り詰め、毎月送金を続ける。
実家にも顔を出せるようになり、ある日、父親から声を掛けられた。「話しかけられたこと自体、5、6年ぶり。えっ?私に??って驚きました。でも、うれしかった。私のことは親族にも誰にも話してなかったらしいけど、母には時々『あいつはどうしてるんや』と聞いていたそうです」と笑う。今では、息子もかわいがってくれるという。
「小さないのちのドア」では、今、ゆかさんのように行き場をなくした女性らが安心して過ごせる「マタニティー・ホーム」の建設に向け、クラウドファンディングで寄付を募っており、ゆかさんも早速申し込んだ。「コロナ騒動で『ネットカフェ難民』も生まれていると聞きます。私と子どもは幸い無事だったけれど、何が起きてもおかしくなかった。『家に帰ればいい』というけれど、いろんな事情で帰れない子も沢山いるんだと分かってほしい。居場所がもっとあってほしい。もう誰にも私のような思いはさせたくないんです」
(まいどなニュース・広畑 千春)