鹿が空腹→市街地出没って…本当にコロナ禍のせい?地元住人が考察する“奈良のシカの真実”
コロナ禍で観光客がほとんどいなくなってしまった奈良。春先には「せんべいをもらえなくなった鹿がお腹をすかせて町で凶暴化?」という噂がSNSで広まり、「鹿せんべいはおやつなので、空腹で凶暴化することはない」と奈良の鹿愛護会が否定した。しかしその後も「市街地への出没が多い。やはりお腹をすかせているのでは」「いや、元々あちこちに出没していた」等々、大手新聞も参戦してネット上にはさまざまな意見が噴出している。まさに「奈良のシカ春の一大事2020」。ホンマはどうなん?ということで、奈良公園から徒歩圏内に住む筆者が、現地で今回の事態を考えてみた。
■場所によって反応の違う鹿たち
奈良県の緊急事態宣言が解除される直前の5月14日午後。数カ月前まで多くの観光客でにぎわっていた東大寺大仏殿周辺に、人影はほとんどなかった。大仏殿西の芝地には、気のせいか普段より多くの鹿が寝そべったり草を食べたりしている。驚いたのは普段は近寄っても見向きもしない鹿たちが、横を通る時に一斉にこちらを見たこと。やはりお腹をすかせているのだろうか。
続いて大仏殿参道へ。たった1軒開いている奈良漬店前に、体格のいい鹿が10頭前後集まっている。鹿せんべい10枚を購入すると、あっという間に取り囲まれてなくなってしまった。中には服を何度もひっぱる鹿もいたが、これはコロナの前からの光景。鹿せんべいがなくなると、鹿たちは散らばっていった。
参道から約500メートル南の飛火野園地では、鹿たちが普段通り草を食んでいた。近寄っても、何も持っていないことを知ってか見向きもしない。いつもと変わらぬ「奈良のシカ」だ。
■周りの人に聞いてみた
芝地で鹿に野菜くずをあげている男性がいた。50年来近くに住んでいるが、最近鹿が住宅地に近づいている気がするとのこと。鹿がお腹をすかせているのではないかと聞いて食べ物を持ってくる人が一定数おり、人を見ると鹿が近づいてくるという。
閑散としてしまった奈良町のある雑貨店では、外壁沿いのプランターの草花が、朝早く鹿に食べられた。向かいの家の花壇には、手製の鹿よけ柵が最近取付けられたという。
奈良公園周辺に在住または勤務する知人たちにも聞いてみた。「以前より頻繁に見かけるようになった場所がある」「交通量の多い交差点を集団移動しているのを複数回見た」など、行動範囲が広がったと同時に、集団移動が増えているのではないかと思われる目撃談が複数あった。
■早朝パトロールしてみた
5月15日午前5時過ぎ、車道を闊歩する複数の鹿が撮影されていた奈良県立大学周辺やJR奈良駅周辺を自転車でまわってみた。しかし、時間が早すぎたのか運が悪かったのか、1頭の鹿にも出会えなかった。そのまま奈良公園方向へ進んで商店街を抜け、猿沢池のまわりで草を食べる鹿を10頭ほど発見。東大寺南大門そばの春日野園地まで来て、無心に草を食べる鹿の一群と遭遇した。鹿の前歯は下アゴにしかない。硬く発達した上アゴの歯茎と下アゴの前歯で草を引きちぎる音があちこちから聞こえてくる。もちろん人間には見向きもしない。食料不足には見えなかった。
■2年前も50頭以上の鹿が市街地を疾走
現在、国の天然記念物に指定されている「奈良のシカ」は、春日大社の神鹿として古くから奈良の人たちと共生し、市街地に近接した場所で暮らしている。町中を悠々と歩く姿や、奈良女子大学の敷地内で勝手にくつろぐ姿など、奈良だけの日常風景がある。思い返せば、50頭以上の鹿が市街地を疾走する動画がツイッターで140万回以上再生されたのは、奈良を訪れる観光客数が過去最大規模だった2年前の2018年5月13日。本当に鹿は、コロナ禍が理由で遠出しているのだろうか。
■奈良の鹿愛護会に聞いてみた
85年以上鹿の保護活動を続ける「奈良の鹿愛護会」によると、「市街地に鹿がいるという通報が多くなり、出動回数がかなり増えているのは事実です」。とはいえ、通報はもともと鹿の出没先であった近隣地区からが最も多く、「コロナ禍にまつわる鹿のニュースが、反対に通報を増やしている可能性がある」と推測する。
鹿の遠出の本当の理由はわからないとのこと。ただ、発情期にハーレムをつくるため奈良公園周辺に集まっていたオス鹿が、発情期が終わって近隣の野山に帰ったり、ハーレムの束縛から解放されたメス鹿が、動きやすくなるのが今の季節だという。今年の特徴としては、普段よりメス鹿の遠出が目立つらしい。
鹿せんべいについては、「野生動物の鹿は本来、芝や木の実といった公園内にある主食でまかなえる頭数しか生き残れません。あくまでおやつの鹿せんべいの減少が行動変容の理由とは考えにくい。遠出がいつもより多いとすれば、人という防波堤が減ったことが理由の一つかもしれません」。さらに「奈良公園内では、鹿に与えていいのは鹿せんべいのみ、というのがルールです。近隣の方々の善意であっても、野菜くずを食べて鹿が野菜の味を覚えてしまうと、畑を荒らす原因になるかもしれません。また水分の多い野菜だとお腹を壊してしまう恐れがあります」。鹿せんべいをあげるとき服やカバンを噛んでくる鹿も、以前にエサをもらった成功体験による学習だという。
ちなみに、小麦粉と米ぬかが原料の鹿せんべいが鹿の消化に悪いのではとの説も出ているが、これも「鹿は4つの胃を持つ反芻(はんすう)動物で、順に消化するためそのような心配は考えにくいのではないか」とのことだった。
■鹿と人との関係を考える
長い歴史の中で人間と共生してきた鹿は、今回のコロナ禍以前に、人間からのさまざまな影響を受けて暮らしている。一方の人間は、これまで鹿の習性をどれだけ観察してきたのか。公園内で「鹿の毛並みが悪いやろ、鹿せんべいが足らんとお腹すいてるからや」と心配する人がいたが、鹿はいま、冬毛から夏毛に替わる真っ最中。毎年のことで心配には及ばない。私も鹿が一斉にこちらを向いたのを、最初はコロナ禍でお腹をすかせているのではと心配したが、もしかすると単にめったに見かけなくなった人間に驚いただけかもしれない。近年はポリ袋を誤飲する鹿が増えるなど、人間と鹿の共生関係に危機が生じている。今回の騒動が、鹿のことを深く知りより良い関係を築くきっかけになればと願わずにはいられない。
(まいどなニュース特約・鹿谷 亜希子)