阪神や広島などでプレーした喜田剛さん、いまは会社員とYouTuberの二刀流
阪神や広島など4球団でプレーし、2011年に引退した喜田剛さん(40)。現在はスポーツ用品アンダーアーマーを扱う株式会社ドーム(東京都)に勤務し、マーケティング部で野球全般の責任者を務める一方、SNSを駆使してさまざまな情報発信も行っている。
今年1月にはユーチューバーとしてもデビューした。チャンネル名は「キダゴch」。ソフトバンクの柳田や今宮らアンダーアーマーの契約選手に話を聞いたり、グラブやバットなど野球道具の紹介、バッティング理論の解説、現役時代の裏話など野球ファンが楽しめる動画を週に3日、精力的にアップしている。チャンネル登録数も1万人を超えた。
「結構楽しみながらやっていますよ。今はコロナの影響でプロ野球もありませんし、野球のニュースも少なくなっています。僕は仕事柄、いつでも選手と会えますから、皆さんにいろんな情報を発信していけたらと思っているんです」
以前からユーチューブの影響力の大きさは知っていたが、自身がやることには抵抗を感じていたという。「自分は裏方なので、表に出るべきではないと思っていました」。しかし、昨年12月、アンダーアーマーの販促を兼ねて川崎のスポーツ店でトークショーを行うことなり、参加者を募集したところ、あっという間に定員の100人が埋まった。
「20人ぐらい集まればラッキーと思っていたのでびっくりしました。カープ時代に僕のファンだったという方も結構来てくれました。現役時代、僕はそんなにファンサービスする選手じゃなかったのに、それでもちゃんと応援してくれていたファンがいたことを知りました。このことがきっかけで、もっと表に出てアンダーアーマーの良さを伝えていくことも元プロ選手だった僕の仕事だと思うようになったんです」
ユーチューブ以外にも、仕事で駆使するSNSはインスタ、ツイッター、フェイスブック、TikTok(ティックトック)、note(ノート)、フォローミーなど多岐に渡る。「世の中ではやっているものはすべて経験しようと思っています。いろんなところにアンテナを広げて、どんどんマーケティングの拡大につなげていきたいんです」。
旺盛なバイタリティーとチャンレンジ精神でバリバリと仕事をこなす喜田さん。その原動力となっているのは会社への感謝の思いだ。「野球を辞めた後、10カ月間、無職だった僕を拾ってくれた会社に恩返ししたいんです。野球界でアンダーアーマーを日本一のブランドにすることが目標です」と話す。
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喜田さんは02年に福岡大から阪神に入団。パンチ力を武器に2軍では2年連続で本塁打と打点の2冠王に輝いたが、当時の阪神は選手層が厚く、1軍に上がるチャンスにほとんど恵まれなかった。
大きく花開いたのは07年途中に広島に移籍してから。移籍直後に先発起用され、広島での初打席で安打を放つと、その後も安打を量産。プロ初本塁打やサヨナラ打も放ち、初めてお立ち台にも上がった。一時はクリーンアップも任された。
当時、チームを指揮していたのはブラウン監督だったが、これには裏話がある。移籍の前年、広島市民球場で阪神と広島の親子ゲームが組まれた時だった。昼間の2軍戦で喜田さんが一塁を守っていると、「キダー!キダー!」と呼ぶ声が聞こえた。声のする方へ目をやると、一塁ベンチ横のカメラマン席にブラウン監督がいた。「“キダ、広島に来い”ってカタコトの日本語で僕を手招きしているんです。その時は、いったいこの人、何を言ってるんだろうと思いましたけど」(笑)。
翌年5月に広島にトレード。ブラウン監督からは「楽しんでやりなさい。失敗しても切り替えてやれば大丈夫」とアドバイスされた。「阪神時代は毎日毎日怒られてばかり。4の4を打っても怒られてましたから。このひと言で、すごく気持ちが楽になりました」。
10年5月にオリックスに移籍するまで広島には3年間在籍。「阪神時代は悔しい、つらいという思い出しかありませんが、カープではいい思い出しかない。やっと1軍の選手になれたという喜びを感じながらプレーしていました」と、当時の思いを語ってくれた。
◆喜田剛(きだ・ごう)1979年10月25日生まれ。福岡市出身。現役時代は右投げ左打ちの内野手。小学3年で野球を始め、沖学園高時代は通算32本塁打。福岡大を経て01年度ドラフト7巡目で阪神に入団。ファームでは05、06年と2年連続で本塁打王と打点王に輝くが、1軍には定着できなかった。07年5月に広島に移籍してチャンスをつかむ。10年5月にオリックスに移籍。11年に横浜へ移り、その年限りで引退。10年間の通算成績は239試合に出場、409打数102安打、打率・249、9本塁打、46打点。家族は妻と一男一女。
(まいどなニュース/デイリースポーツ・工藤 直樹)
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