コロナが醸成する「差別が容認される空気」 深刻さを増す「コロナ差別」に思うこと
8月5日、競泳グラドルの稲森美優さんが7月中頃に新型コロナウイルスに感染していたことを明かした。
稲森さんは病院、保健所の適切な処置を受け、公表時は隔離期間を終えていたが、あえてこの時期の発表となったのは世間の「コロナ差別」を避けたいという意図があったようだ。
現在、芸能人のみならず、飲食店勤務の方や地方在住の方など幅広い層にとってコロナ差別が大きな脅威となっている。お店がコロナの発生源になるという誹謗中傷を受けた方、コロナ感染を言いふらされ引っ越しを強いられた方、他県ナンバーであるために自動車に傷をつけられた方……そして今、お盆を迎え、帰省した方に対する新たな差別行為が続出しているらしい。こんな蒙昧な行為が階層や地域によっては「正義」であるかのようにまかりとおっていることはもはや恐怖でしかない。
これは一個人としての感想だが、3月にコロナが深刻化した頃から、世間では攻撃的になったり精神の安定を失ってしまった人が増えている気がする。普段は真面目で度量もある人が、いざコロナがらみとなるとささいな意見の違いからトラブルを起こしたり、SNS上に誹謗中傷のコメントを書いたりとさまざまな問題行動を起こしてしまうのだ。こういった人の行動はさらにその周囲に精神的な負の影響を広げている気がする。そして積極的に差別行動はしないものの、差別行動を容認してしまう層を広げてしまっているのではないかと思うのだ。
そういった風潮に迎合したメディアの報道姿勢にも疑問を感じることがある。5月には東京から山梨県に帰省した際、コロナ感染を知りつつ高速バスを利用するなどした女性へのネットリンチを助長するかのような報道があったし、つい先月にも長崎県のある地元テレビ局のTwitterアカウントが、コロナに感染した学生の学校名やアルバイトしている店舗を詳細に紹介していた。大衆の不安を煽ったり不満のはけ口を用意すれば、そりゃあその報道は注目されるだろう。しかし報道された個人の暮らしやプライバシーはどうなるのか。
僕が住む神戸の街でもコロナ差別は深刻だ。看護婦の妻を持つ男性が職場から退社を迫られたり、飲食店が店員がコロナに感染しているというデマを流されたりと、その蒙昧ぶりは他の地方と大差ない。そういった報告をうけ、コロナに感染することを社会的な死だと考える人は多い。店からコロナを出せばもうその場所で商売が出来なくなると怯える飲食店経営者の声も聞いた。それぞれ、自分がコロナ差別の対象者になりうる、コロナ差別にあらがうすべはないと判断しているのだ。
差別が容認される空気……そんなものが醸成されれば、たとえコロナが終息したとしても日本社会にはその後も長く禍根が残るだろう。コロナがらみなら、自分が恐怖していればどんな無礼や暴力も許されるという考えはいい加減やめにしないか。
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)