渡哲也さんの「帰って来たヨッパライ」…佐藤蛾次郎のスナックで名優たちと夜通し歌った時代

 俳優・渡哲也さんが肺炎のため78歳で亡くなった。渡さんといえば、大ヒットした「くちなしの花」など、歌手としての顔もある。その素顔を知る俳優の佐藤蛾次郎は当サイトの取材に対し、渡さんにとって人生と共にあった「歌」にまつわるエピソードを証言した。

 佐藤にとって、渡さんとの出会いは石原プロ製作のテレビ朝日系ドラマ「浮浪雲」だった。1978年4月から9月まで毎週日曜夜8時から放送された、ジョージ秋山さん原作の幕末の品川宿を舞台にした名作漫画の実写版。「寅」という役でレギュラー出演した佐藤は当時、東京・新橋で「撫子(なでしこ)」というスナックを営み、主役の浮浪雲をひょうひょうと演じた渡さんは共演者である佐藤の店に通った。

 「撫子」は地下にあった。渡さんは妻・かめを演じた桃井かおりら共演俳優やスタッフらを連れて入店すると、最初に全員の分を払ったという。佐藤は「渡さん、先に10万円を置いて『これを収めて』と。僕が『うちは安い店なんで、こんなにいいですから』と言っても、『いえ、これを収めてください』。渡さんはそんなに飲まれる人ではないのですが、ご自身で全員の分を払い、みんなが楽しむ中で周囲に気を配る。ええ人でした」と振り返る。

 「くちなしの花」もカラオケで歌ったという。1973年8月にリリースし、74年に大ヒットして紅白歌合戦に初出場した記念碑的な作品だ。「原田芳雄さんも来ていて、1番を渡さん、2番を原田さんが歌うということも」。日活映画「新宿アウトローぶっ飛ばせ」で共演した原田さんに「哲ちゃん」と呼ばれた渡さんは、1歳上の原田さんを「アニキ」と呼んだという。

 その原田さんが演奏するギターと共に、渡さんは「浮浪雲」の前年に放送された「大都会PART2」で共演した松田優作さん、桃井らと夜通し歌う「撫子ライブ」に参加していた。

 佐藤は「店を閉めてから、お客さんは一切入れない。ある時期、年に1、2回くらい集まって、ひたすら歌った。最後の方になると、渡さんは『もう歌う歌がないから、チイチイパッパ(編集注・「すずめの学校」)歌おうかな』って(笑)」と懐かしむ。

 数年前、縁あって拝聴させていただいた秘蔵音源からその様子を一部再現してみよう。

 原田さんがつま弾くギターのアルペジオ奏法に合わせ、渡さんは「かあさんの歌」を歌う。「かあさんのあかぎれ痛い 生みそすり込む」の「生みそ」というフレーズから本当に味噌が匂いたつようで、「役者さんの歌だなぁ」と感じた。さらに、渡さんは「黒の舟唄」の1番を迫力のある声で歌い上げ、2番を原田さん、3番を松田さん、再び渡さんとマイクを回し、最後は全員で合唱。また、「赤い靴」などの童謡もしんみり歌った。

 渡さんが歌うザ・フォーク・クルセダーズの「帰って来たヨッパライ」には驚かされた。三枚目に徹して吹っ切れ、発散する歌いっぷり。間奏に入る神様の説教部分は兵庫・淡路島出身であるネイティブな関西弁がはまった。渡さんが20代の頃、出身地に近い神戸のラジオ関西でオンエアされた自主制作盤から全国的な大ヒットとなった同曲。当時を知る世代ならではの説得力があった。

 その流れでアメリカン・ポップスへ。渡さんは「リトル・ダーリン」や「ダイアナ」を英語詞と日本語詞で歌い分けた。青春時代に親しんだのであろう曲を伸び伸びと熱唱する間、周囲に気遣う日常からの開放感にあふれていた。

 佐藤は「渡さん、うちのママとは『銀座の恋の物語』をデュエットしてくださった」という。「ママ」とは、4年前の夏に亡くなった妻・和子さん。「撫子」では接客しつつ、訪れる俳優たちと一緒に歌う仲間でもあった。佐藤が現在、銀座で営むパブ「蛾次ママ」では和子さんの遺影がほほ笑み、その近くに「浮浪雲」のスタジオで撮った渡さんと佐藤らのスチール写真も飾られている。

 「僕は昭和19年生まれで渡さんより3歳下なんですけど、呼び捨てにせず、『ガジさん』と呼んでくださった。礼儀をわきまえた人やった」。そう悼む佐藤は「俺も(渡さんと同じ)大腸がんと直腸がんやったし、人工肛門も付けた。でも、渡さん、病には勝てんかった。人間、いつ死ぬか分からない。優作も原田さんもママも…。寂しくなります」。コロナ禍で飲食店が厳しい状況の今も店に立つ佐藤。渡さんと「歌」の思い出と共に、別れを胸に刻む。

(まいどなニュース/デイリースポーツ・北村 泰介)

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