神戸市民にとって「特別な空間」だった…オープニングスタッフが振り返る1988年の東急ハンズ三宮店
8月21日、東急ハンズ三宮店が取引先に対し今年12月末に閉店する方針を伝えていたことがわかった。
近年の小売業界の不振に加え、新型コロナウイルスの流行も影響したのではないかと思われるが、三宮店の閉店報道が地元神戸の人々に与えるショックは大きい。
東急ハンズ三宮店は1988年3月開店。生田神社の門前、東門街にほぼ隣接するという絶好の立地から三宮駅北側のランドマークとして親しまれ「ハンズ前」を待ち合わせスポットとして利用する人も多かった。三宮店は関西圏の東急ハンズ系列店としては大阪府吹田市の江坂店に次いで2番目の出店。1988年の開店時には当時最先端の業態だった「都市型ホームセンター」を一目見ようと数百メートルの行列が出来たそうだ。
開店当時、三宮店は神戸の人々にとってどのような存在だったのだろうか?オープニングスタッフとして勤務していた歌手、DJの港町YOKOさんにお話をうかがった。
中将タカノリ(以下「中将」):東急ハンズ三宮店に入社されたきっかけをお聞かせください。
港町:当時私は19歳でアルバイトをしていたのですが、そろそろ社員として就職したいと思って求人情報紙をめくっていると東急ハンズの求人広告が目に入りました。まだまだ子どもだったので東急ハンズの存在すら知らなかったのですが「CREATIVE LIFE STORE」というキャッチコピーに惹かれて応募しました。
中将:当時の神戸ではまだまだ東急ハンズは知られていなかったんですね。
港町:すでに大阪に江坂店ができていたので知ってる人はいたと思いますが、今みたいにみんなが知ってる感じではなかったと思います。でも研修が始まって開店するまでの間にどんどんテレビCMが放送されるようになり、オープニングの日には店前に大行列ができてるような状態でした。友達からも就職を羨ましがられました。「東京からすごいお店がやってくる!」というイメージだったんじゃないでしょうか。
中将:研修はどのような内容でしたか?
港町:今思えばすごくしっかりした研修期間がありました。開店準備室という研修スペースが近くにあり、そこで接客から店舗業務、商品知識までいろんなことを教わりました。江坂店にも研修に行きましたし、「競合店を見学してきなさい」と言われて他のお店をめぐったりもしましたね。
中将:三宮店は1988年の3月にオープンしたわけですが、当日の状況はどんなものでしたか?
港町:行列や人だかりに巻き込まれないよう、朝7時くらいに出社したのを覚えています。お店の外壁に大量の風船が入った袋が結びつけられていて、開店と同時に空に風船が放たれるという演出があったり、生バンドが演奏したり、お店の前はお祭りのような雰囲気だったようです。
もちろん私たちはそんな光景は一切見ることなく、ラッシュアワーのような勢いで来店するお客さんの接客に追われていました。私が配属された売り場は3階Cフロア。壁紙やカーペット、レザー、粘着シートを扱う売り場だったのですが、そこにも子どもからお年寄りまで大勢のお客さんが押し寄せました。ちょっと怖さを感じるくらいの熱気でしたね。
中将:この日から店員としてのお仕事が始まるわけですが、港町さんにとって三宮店はどんな職場だったのでしょう?
港町:研修中から「東急ハンズは百貨店クオリティーを目指す」、「商品についてたずねられて"無い"、"知らない"とは言わないように」と教えられていたので、仕事に対する意識はみんなものすごく高かったですね。また店員ごとに担当の商品カテゴリーが割り振られ、在庫管理から取引先との商談まで受け持つので、仕事に対する責任感が芽生えました。仕事を楽しみながら、いろんなことを学ばせてもらったと思っています。
ただ、今の感覚で考えると仕事環境はけっこうキツかったとも思います。毎日お昼にお弁当を2人前食べても痩せるくらいでした。平日でもひっきりなしにお客さんがやってくるので気が抜けなかったですし、レイアウト変更や棚卸しは閉店後に作業するので、終電が終わって帰れなくなる店員もたくさんいました。私は家が近かったのでタクシーに乗って帰れたんですが、よく帰れない人たちにつきあって朝まで居酒屋や深夜喫茶をハシゴしました(笑)。いつも10人以上のグループになって、夜の三宮をうろうろするんです。身体はきつかったけどみんな若かったし、そういう時間が楽しかったんでしょうね。
中将:三宮店に勤務する中で印象的だったエピソードをお聞かせください。
まずは失敗談から……。お客さんから商品のプレゼント包装を頼まれたんですが、持ってくる包装紙のサイズを間違ってしまったんです。全然包めないでいるのを別のスタッフからからかわれて一緒になって笑っていたら、それを見たお客さんが「馬鹿にしてるんですか!」と泣き出してしまいました。上司が謝りに出てきてどうにか収まりましたが、私たちの意識が低かったんだと反省しました。
もう一つはいい思い出です。当時も東急ハンズでは各フロアで定期的に催事をしていたんですが、ある時、私が壁紙貼りのDIY実演をやったところ、後日お客さんが「お陰さまで綺麗に貼れました」と菓子折りを持ってお礼に来てくれたんです。自分の仕事が誰かの役に立っているのだという自信を持てた印象的な経験でした。
【港町YOKO (みなとまち よーこ)プロフィール】
DJ、歌手。兵庫県神戸市出身。 1990年前後、けろっぐ博士らとのテクノユニットT‐3での活動を経てソロ活動に。コンピレーションアルバム「TECHNO4POP VOL.1」(2005年)、「FUTURETRON RECYCLER」(2019年)などに作品を発表している。
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港町さんは三宮店が自分だけでなく多くの神戸市民にとって「特別な空間」だったのではないかと振り返っていた。
今年の年末を最後に神戸の街から消えてしまう三宮店。しかし開店以来32年の年月を通し、大勢の人に与えてきた思い出と感動は今後も長く心に残ることだろう。ありがとう、そしてさようなら、東急ハンズ三宮店!
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)