ハッピーの基準は人それぞれ 豊田真由子が思う「ポテサラ論争」「冷凍餃子問題」の根底にあるもの

■価値観は人それぞれ 押し付けてはいけない

「ポテトサラダくらい自分で作るべき」「冷凍餃子を食卓に出すのは手抜き」-物事の考え方は人それぞれですから、こう思う方は、ぜひ、ご自分は手作りなさっていただければ、それでよいのだと思います。一方で「節約できた時間で、家族と向き合って話をしたい」「冷凍餃子の味が好き」といった考え方もあります。

確かに、うちの母は手作りしていましたし、手作りする方はすごいなあ、と思いますが、時代の変化もありますし、冷凍餃子でできた時間と余裕でニコニコ笑顔で団らんしたい人もいる。その人や家庭がハッピーであれば、他人がどうこういうことではないように思います。

まず、大切なのは、自分は自分、人は人。ハッピーの基準も人それぞれ。多様な価値観を認め合うこと、考えを押し付けないことではないでしょうか。

■食べる人が、作る人に言ってはいけない→自分で作ってみよう

こういった台詞は、人が作ったものを食べている人が、作ってくれる人に対して、言ってはいけない。「だったら、自分で作ってよ!」となってしまいますよね。家族や親しい間柄といえども、互いに思いやらないと、たぶん、続かない。

これついて、テレビ番組で意見交換をさせていただいたとき、男性陣の皆様は「作ってもらったことに、感謝の言葉を言うようにしている。」「冷凍餃子もおいしい。けど、やはり手作りには愛情を感じる。」…皆様、いろいろと気遣いなさっている。私は「さらに一歩進んで、愛情の示し方はいろいろあって、手作り料理に愛情を込める人もいれば、節約した時間で家族と向き合うことに愛情を込める人もいる、それと、時々は、ご自身で作っていただくといいかも」と申し上げました。

■家事の効率化は、なぜ責められる?

家事の話になると、なぜかこういう論争になるわけですが、これが仕事<例えば、会社、工場、農業等々>だったら、どうでしょうか? 時代とともに、技術や知恵が進んで、効率良く、手間と時間を節約できて、よい物が得られるようになる。- まさに、労働資源の効率的活用、生産性の向上ですよね。褒められこそすれ、責められるでしょうか?

ではどうして、家事だけ、効率を実現すると責められるのでしょう? 私はそこに、わが国で未だ根強い男女差別や、家事はタダ(無料)という誤った概念があるのではないかと思います。コロナ禍でも明らかになりましたが、やはり、基本的に主に家事を担うのは、女性。そして、こうあるべき、という長きにわたる慣習が、社会や女性自身を、未だ縛っているように思います。

家事を外注したら、一体いくらコストがかかるか考えてみれば、家事というのが、愛情のこもった無償で貴重な「労働」であることが分かります。特に、お料理は、手作り信仰が未だ根強いですよね。(繰り返しますが、それがいいかわるいか、ではなく、価値観の多様性の問題です。)

それに、これを突き詰めると、じゃあ、セーターは手編みでなきゃいけない?鰹節は削り器で削らなきゃいけない?洗濯は洗濯機を使わず、桶と板で洗わないといけない?-そんなことないですよね。手編みのセーターも、お店で買ったセーターも、どっちもよい!

ちなみに、夏休みに部活に行く中学生の息子のお弁当、朝早く起きて手作りしますが、「僕、コンビニ弁当の方がいいんだけどな~。好きなもの選べるし。」と言われ、涙がほろり。いや、めげずにがんばろう。 

あれ、この結論でいいんでしたっけ?いいんですよね、形はいろいろ…。

◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。

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