ラーメン店勤続20年の男性が作った映画が全国公開 異色作「横須賀綺譚」はいかにして生まれたか
初のオリジナル長編映画「横須賀綺譚」を完成させた大塚信一監督は、ラーメン店勤続20年で、これまで映画の現場の経験もほぼないという。東日本大震災で亡くなったと思っていた元恋人が別の場所で生きているかもしれないと知らされ、半信半疑で会いに行く-というちょっと不思議な物語。最初のプロットを書いてから撮影に入るまで5、6年、映画祭でのお披露目からさらに1年。ようやく劇場公開にこぎ着けた大塚監督に、映画作りに対する執念の理由を聞いた。
■素人監督、現場で袋叩きにされる
大塚監督は1980年、長崎県出身。大学卒業後、20代前半は映画監督の長谷川和彦に師事したり、散発的に映画制作に参加したりもしていたが、今はラーメン店の仕事で生計を立てている。
いざ映画を作るとなれば、当然、人を集めなければならない。とはいえ、映画界に知り合いは少ない。スタッフでつながりがあったのは撮影/照明の飯岡聖英、録音/整音の小林徹哉くらい。また俳優のオーディションをする余裕もないため、出演は一本釣りで直接依頼していったという。
撮影には、ラーメン店を1カ月休んで臨んだ。だが、そもそも映画作りのことをほとんど何も知らない大塚監督に、場数を踏んできたスタッフやキャストたちは容赦なかった。
「いやあ、もう現場では袋叩きですよ。面倒な人を集めてしまった…と後悔しましたもん」
主人公の元恋人役に起用されたしじみも「みんな激しく意見をぶつけ合う、バチバチした現場でした。監督の仕事は絶対にやりたくないなと思いました」と笑いながら振り返る。
■脱ぎだけじゃない、“天才”しじみとの仕事
では、しじみは現場でどう振る舞っていたのか。
大塚監督「僕らが話し合いをしていると、いつの間にかスーッとどこかへ消えて、寝てるんですよ。『なんだあの人?大丈夫か?』と思っていました。でもあるシーンの撮影で、台詞も動きも変えずに芝居のニュアンスだけでそのシーンの意味を一変させた瞬間があって、うわあ役者さんってこんなことができるんだ、すごいなと感動したんです。あそこは、しじみさんに操られながら作ったという感覚がありますね」
しじみ「本当にありがたいんですけど、大塚さん、取材ではこの話しかしないんですよ。今日で3回目くらい。このエピソードだけで乗り切ろうとしてますよね(笑)」
ピンク映画の出演が多いしじみだが、本作では全く脱いでいない。彼女にとって、これはかなり異例のことなのだという。
大塚監督「それだけが理由じゃないですけど、最初主演で考えていた俳優の松浦祐也に『しじみちゃんを使うなら絶対にエロはやめてくれ。彼女は天才だから、脱ぐだけではない仕事もさせてあげてほしい』と言われていたんです」
しじみ「脱ぎありきでキャスティングされるのがほとんどなので、演技だけで使ってもらえたことは嬉しかったし、自信にもなりました。どうしても出演作の傾向が偏っちゃうんで、こういう作品にも出ているんだと知ってもらえるのは本当にありがたいですね。…と言いつつ、今は私が出演している映画『揉めよドラゴン 爆乳乱れ咲き』も公開中なので、こちらもぜひ見てください(笑)」
■映画を作る理由を問うことは、生きる理由を問うのと同じ
閑話休題。
ラーメン店の仕事で家族を養いながら、長編映画を作った大塚監督。相当な覚悟が必要だったのではないだろうか。
「まあ大変でしたよ、本当に。撮っている頃は2人目の子供が生まれたばかりでしたし。それでも映画は絶対に作りたかった。え、理由を喋るんですか?人はパンだけでは生きていけないじゃないですか。パンはラーメン屋で稼ぐから、パン以外のことは映画でやらせてくださいってことですよ」
「え、足りないですか?『なんで映画を作るの』と聞かれても、そんなの『なんで生きてんの』と言われるのと同じですよ。もっと理由ないの、と言われても困りますね」
…失礼しました。では今後、2本目を作るつもりはあるのだろうか。
「当然です。別に自己実現や思い出作りのために映画を撮ったわけではないので。でも資金的には厳しいですね。今回は全部で300万円くらいかかりましたけど、もう蓄えは尽きました。お金、どうしたらいいんですかね…」
そんな大塚監督が人生を賭して作った「横須賀綺譚」は、東日本大震災を題材にしながら、全く新しい切り口で描いているのが、鮮烈な印象を残す1本だ。
「震災そのものではなく、震災後に日本社会の意識や考え方がどう変わっていったかを描き出すことに主眼を置きました。だからコロナ禍の今にもリンクする部分が多く、この時期に公開されることにも意味があると思っています」
「横須賀綺譚」は全国の映画館で順次公開中。関西では京都みなみ会館で9月25日から公開予定。
(まいどなニュース・黒川 裕生)