日本生まれの建築思想『メタボリズム』の名建築・中銀カプセルタワー 竣工から約50年…解体の危機に
東京・銀座8丁目に不思議な建築が建つ。建築家・故黒川紀章氏が1970年代初頭に設計した『中銀(なかぎん)カプセルタワービル』だ。
おもちゃのブロックを積んだようなその姿は、一度建てれば変わらないとされてきた建築を“自在に移動し変化するもの”ととらえる都市・建築思想『メタボリズム(新陳代謝)』を高度なデザインで表現し、世界的な評価も高い。
そしていま、竣工から約50年を経て解体の危機にある。現状を報告する。
建物は鉄骨鉄筋コンクリートの2本の塔(コア・シャフト)に140個の『カプセル』が取りついている。カプセルは広さ10㎡の中にベッドと収納、ユニットバス等最低限の生活設備が入った箱で、滋賀県の工場で製造した後ひとつずつトラックで運ばれた。
1972年、“一等地にある夢のパーソナルスペース”として、ビジネスパーソン向けの極小住居やオフィス用に分譲が始まる。
それから半世紀。カプセルの稼働は6割ほどで、多くは事務所やセカンドハウスだ。周囲のビルが現代風に建て替わる中、変わらず屹立する姿はインパクトを増している。
一方で建物の傷みは深刻だ。あちこちで雨漏りし、給湯は停止して風呂は使用不能。売りだった全館空調システムも壊れ、カプセルごとにエアコンを設置しなければ夏は酷暑、冬は極寒で在室すら難しい。
が、この状況を半ば楽しみながらカプセルを使い続ける人々がいる。
『中銀カプセルタワービル保存・再生プロジェクト(以下プロジェクト)』代表・前田達之さんはこのビルに惚れこみ、コツコツとカプセルを買い続けて十数戸の所有者となった。自らリフォームし事務所やゲストルームとして使うほか賃貸物件として提供もする。目的はもちろん、建物の保存再生だ。
カプセルの借り主は老若男女、用途も事務所から住居、別荘と十人十色。彼らに共通するのは狭さも雨漏りも風呂なしも超越するカプセル愛で、使いこなしにそれだけの覚悟が要ることの裏返しともいえるだろう。日々の情報交換や飲み会など、同好の士ならではのコミュニケーションもある。
借り主のひとり、一級建築士の藤村正さんは2017年以来ゲストハウスとして友人知人にカプセルを開放し、楽しみを共有してきた。
カプセルは直方体の一辺のみでシャフトにボルト留めされ、他の五辺は宙に浮いている。孤立したその空間はマンションの部屋とまったく違うといい「現実世界から時間も空間も切り取られ、包み込まれる感覚。パソコンもテレビも持ち込みません」
約3年で延べ400余人を招き、カプセルは自分の生活スタイルを変えた、とも。「カプセルタワーは近代日本を代表する文化遺産。ここには個人の自由な生き方を許す空気があります」
他の多くの借り主同様、変わらない姿での保存と再生を願う。
2007年、老朽化を理由にカプセルタワーの解体・建て替えが決まった。
それ以前の2002年と2006年には修繕案も出されている。設計当初から織込済の“カプセル交換”による更新案で、日本建築学会はじめ複数の団体も文化的価値の高い建築作品として保存の要望を表明した。
しかし、容易に思われたカプセルの脱着が実際には個別にできず、一斉交換には大きなコストとカプセル所有者全員の同意が必要になった。さらにデザイン変更なしの修繕は法律上不可能とも判明。保存再生の選択肢が消えてしまう。
ではなぜ今も建っているのか。その理由を前田さんは「解体を請け負った会社がリーマン・ショックで倒産したからです」と話す。綱渡り状態だ。
それでも諦めず、プロジェクトは写真集の出版や見学ツアーの開催、短期間の賃貸契約で空間体験できる『マンスリーカプセル』といった企画を打ち出して保存再生を訴える広報活動を続けた。
首の皮一枚でつながるカプセルタワーに2017年、再度修繕のチャンスが訪れる。
東京都港区の一級建築士事務所『ビルディング・エンバイロメント・ワークショップ』主宰の建築家・井坂幸恵さんは、不動産業を営む知人から「カプセルタワーを買い取って再生したい」と相談を受けた。前田さんとタッグを組み図面を読み解くうち、大胆かつ細部まで高い精度を持つその設計に感激したという。「ダイナミックでシンプルなアイディア、コンセプチュアルなのに技術への挑戦もあるすばらしい建築。敬服し、惚れました」
『佐藤淳構造設計事務所』代表の構造家・佐藤淳さんの力も借りて作成した修繕案は、全体のデザインを変えずに現代の生活や使い勝手に配慮がなされ、オフィスやシェアハウス、将来的にはホテルユースなど時代に応じた柔軟な利用を可能とした。同時に高いデザイン性を維持したサステイナブル建築として周辺一帯の都市再生に寄与する可能性も示唆する。
この計画を2017年の管理組合総会で提案した。技術的・法的に修繕は可能、新たな事業によってコスト面もクリアできると出席者に実感してもらった。
保存再生に光が見えたと思った矢先、事態がまたもや暗転する。修繕開始に向けて調査を依頼した大成建設とコストや期間で折り合わず、計画が宙に浮いてしまったのだ。
さらにカプセル十数個と1、2階の非カプセル部、土地の権利を持つ中銀グループが全所有権をCTB合同会社に売却。同社は建物に関する議決権の6割強を手にし、建物を解体して更地売却する方針を固めつつあるという。
危機的状況は続いている。
中銀カプセルタワーは他に類を見ないデザインで設計概念とコンセプトを直接表現し得た、世界的にも稀有な建築だ。その魅力や文化的価値の認識は海外でより強く、東京の国際観光資源でもある。
それでも経済面ばかりが強調され不可避のように解体が語られるのは、江戸と呼ばれた昔から東京という都市が形成されてきた背景や、スクラップ&ビルドという行動様式にも関係がありそうだ。何が保存を妨げるのか、井坂さんは“天災の多さ”と“新しもの好き”を挙げる。
地震や台風が多く、しかも伝統的に木造主体の日本では、建物といえば“壊れやすく燃えやすい”のを定番としてきた。災害を免れても木はいつか腐り、長持ちさせるには労力がいる。「日本という土地の建築の危うさですね。それに加えて“刷新する気持ち良さ”もあるかも」
建物が傷んだらきれいさっぱり片づけ、清潔な新しい木で建て替えればいい、その方が気持ち良いじゃないか… こんな感性が、小ぶりで低層の木造建築が集積する江戸というまちをつくりあげた。
それから150年、東京と名を変えたまちは、危険だからと木造密集地を再開発し、古い建物の多くは解体され、収益性は高いが個性のないインテリジェントビルが林立し「このまち本来の魅力の継承はなされていません」。カプセルタワーの現状そのものでもある。
「先輩たちがつくってきた東京というまちが変わってきている。まさに新陳代謝の時期だと思います。いま建築を考えるなら、環境面からいっても解体よりリノベやサステイナブル建築があたりまえの選択肢になっていかなければ」と井坂さん。140のキューブが集積するカプセルタワーを「多くのものが積層しハーモニーとなる」かつての江戸の姿にも重ねる。SDGsを基調とする今後の社会で、都市の文化とその再生のシンボルともなり得るはずだ。
さらにコロナ禍のいま、私たちひとりひとりが個人の居場所や移動、他者とのつながりについて向き合うことも求められている。
藤村さんは「大地から解放され移動・交換が可能なカプセルは、行動の自由を象徴し活動の場を広げる建築。個人個人が自由に発想せよ、という黒川さんからのメッセージが感じられます」
ソーシャルディスタンシングの現代にあって、わずかな隙間を保ち完全に独立するカプセルは象徴的だ。その空間に身を置くとき、人は世界の中での自分の位置や在り方にまで想いを馳せることもあるだろう。
中銀カプセルタワーをなぜ残すのか。この建築が未来に向かう人の思考と行動を促す存在であることもまた、理由のひとつかもしれない。
プロジェクトでは現在、保存再生につなげるクラウドファンディングを実施中だ。興味のある方は一度覗いてみてはいかがだろう。
(まいどなニュース特約・二階 さちえ)