ギンズバーグ氏が米国民から人気だった理由、連邦最高裁判事として27年 豊田真由子は「敬意と感銘」

アメリカ大統領選まで3週間あまり。トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染するなど、混沌とした状況が続いていますが、今回は、大統領選で論争を起こしている米国最高裁判事任命問題、そして、米国民に絶大な人気のあった一人の判事の人生に、ふれてみたいと思います。分断の進んでいく、この世界を生きる私たちに、重要な示唆を含んでいるように思うので。

ところで、皆様の中に、日本の最高裁判所判事の名前をご存知の方は、どれくらいいらっしゃるでしょうか?法曹にご関心のある方以外は、「知らない」という方がほとんどではないでしょうか。

一方、米国では大きく様相が異なります。米国の最高裁判所の判事が誰になるかは、米国民の重大な関心事です。米国で連邦最高裁の持つ力は非常に大きく、連邦法や州法、連邦や州の行政府の行為、大統領令が、合衆国憲法に反するか否かを判断する権限(違憲審査権)を有します。人工妊娠中絶、同性婚、移民、死刑、銃規制、プライバシー、環境問題等々、人権や価値観に関わる多様な問題についての判断を下し、連邦政府や州政府の政策に多大な影響を与えます。

そして、連邦最高裁判事の人事には、保守とリベラルの対立が反映されます。共和党と民主党、どちらの大統領により指名された判事かによって、上述したような国を二分する重要な案件の動向が変わってきます。連邦最高裁判事の任期は終身であり、死亡するか、辞任するか、弾劾されない限り、その座に留まることができます。(※かつて最高裁判事が弾劾された例はありません。) 空席ができない限り、大統領は自分の意に沿う人物を連邦最高裁に送り込むことはできませんので、判事の空席が発生した場合、保守派の大統領は保守派の判事を、リベラル派の大統領はリベラル派の判事を指名し、連邦最高裁に政治的影響力を最大限行使しようとします。こうして、連邦最高裁判事の指名・承認を巡って、保守派とリベラル派の間で激しい闘争が展開されるのです。

さて、そうした最高裁判事の中に、米国民の絶大な人気と尊敬を得て、先月18日に87歳で亡くなったルース・ベイダー・ギンズバーグ(Ruth Bader Ginsburg)判事がいました。「ギンズバーグ人形」やマグカップ、Tシャツ、絵本が販売され、ハロウィンでは氏のコスチュームを着た大人や子どもが続出し、レゴやパワーパフガールズにも取り上げられ、その人生を追ったドキュメンタリー映画は大ヒットを記録しました。

1933年生まれのギンズバーグ氏は、自ら差別(女性、母親、ユダヤ系)を受けながらも、粘り強く、真摯に道を切り拓き、そして同時に、法律家として、社会に存する差別そのものと向き合い、アメリカの社会を変えてきました。女性やマイノリティーの権利発展に尽力し、軍事学校の女性排除、男女の賃金差別、黒人差別を防止する投票法条項の撤廃等に反対しました。

ギンズバーグ氏の晩年における連邦最高裁判事9人の構成は、共和党の大統領によって指名された保守派が5人、民主党の大統領によって指名されたリベラル派が4人。1993年に民主党のクリントン大統領によって指名され、リベラル派判事の代表と目されていたギンズバーグ氏は、共和党出身のトランプ大統領が当選し、自身が引退することで連邦最高裁の保守化が進むことを強く危惧するようになったと言われています。当然、民主党もギンズバーグ氏の執務継続を望みました。

結果として、ギンズバーグ氏は、膵臓がんと診断されたのちも、入退院を繰り返しながら、死去するまで判事の座にとどまりました。先月18日に死去したギンズバーグ氏は、新しい大統領が就任するまでは、自身の後任人事が行われることのないよう、死の間際まで、強く願っていたと言われます。

ギンズバーグ氏が米国民に広く受け入れられた理由は、氏が、強く聡明であるだけではなく、信念と志を持ち、パワフルでしなやかで、差別される者(自らも差別されてきた者として、その気持ちが存分に分かり)に当然に寄り添い、そして、真に公正な考えで、きちんと結果を出してきた、ということがあるのではないかと思います。

我が国でも、女性活躍問題など、様々な課題の解決を考えるときに、私はこの「しなやかに」そして「真に公正な考え」というのが、非常に重要ではないかと思っていました。

ギンズバーグ氏は、女性が、進学や就職はもとより、自分名義でクレジットカードを作ることさえできなかった時代に、がむしゃらに主張して対立するのではなく、性差別を理解しない最高裁の同僚判事に「幼稚園の先生のように」教え諭したといいます。価値観の大きく異なる相手や社会に対して、どうやったら、その考えを変えてもらうことができるか、普遍的な示唆があるように思います。

そして、ギンズバーグ氏のやり方が素晴らしいのは、「女性の権利を擁護しろ!」と声高に主張するのではなく、「男女間の『生得的な違い』は称えるべきものであり、いずれかの性別に属する人への侮辱や、個人の機会制約の根拠とはならない」と指摘したこと、性別に関する固定概念や異なる待遇が、男性側にも悪影響を与えていることを指摘するという方法を採ったことだと思うのです。

ギンズバーグ氏が是正した法律の中には、例えば、妻を亡くした男性の遺族年金受給を認めないもの(妻の収入というのは副次的なものであるから)、アルコールの購入可能年齢を、女性18歳・男性21歳としていたもの(女性は18歳で飲酒しても問題を起こさないが、若い男性は飲酒すると危険な振る舞いをするかもしれないから)があります。こうした判決が先例となり、『性別に基づいた区別』に関するその後の司法判断が厳格化し、結果として、女性の権利向上にもつながったと言われています。

“Fight for things you care about but do it in a way that will lead others to join you.” (自分が大切にしているもののために闘いなさい。ただし、他の人たちが、あなたに賛同するような闘い方でね。) 

・・・米国留学時に、ギンズバーグ氏に感銘を受けて以来、胸に刻んでいます。

ちなみに、夫のマーティー・ギンズバーグ氏も、これまた素晴らしいのです。彼は、NYのコロンビア大学で終身の教授職を得ていましたが、ルースが1980年に連邦控訴裁判所判事に任命されると、仕事を辞め、共にワシントンDCに引っ越し、新たな仕事に就きました。料理が苦手なルースのため、料理はマーティーが一手に担い、他の最高裁判事の妻たちとの付き合いも、積極的にやっていたといいます。マーティーは全面的にルースを応援し、そのための協力を厭いませんでした。そして、そのパートナーシップは、決して一方的なものではなく、ロースクール時代にマーティーが病気になった時、ルースは彼の分までノートをとり、レポートをタイプし、マーティーのキャリアのためにハーバードの学位を諦めました(NYで就職した夫のために、ボストンを離れ、コロンビア大学に移りました)。

ふたりは、真に対等で、互いを尊重し、成長を支え合っていました。それが1930年代生まれで1950年代に結婚した二人の間で行われていたということに驚きます。

マーティー氏は、”I have been supportive of my wife since the beginning of time and she has been supportive of me" "It's not sacrifice; it's family.”(僕は、最初の最初から妻を支えたいと思ってやってきたし、彼女も同じように僕を支え続けてくれました。それは犠牲じゃない。家族だということです)と述べています。

・・・敬意と感銘と、様々な自戒とを込め、筆を置かせていただきます。

◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。

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