免許返納は慎重に…要介護リスクが2倍になるという調査の衝撃 自尊心傷つけられ自殺したケースも
すい臓がんが見つかった80代の女性は、昨年の年明けに手術をした。手術後は一気に体力が落ちてクルマの運転がおぼつかなくなった。しかし、自分はちょっとそこまでの運転なら大丈夫だと思ってクルマに乗ってしまう。
女性は息子と嫁の3人で暮らしており、家族は気が気ではないのだという。息子や嫁に気を使わずに、自分で買い物に行きたい女性。がんを乗り越えて元気になったが、いつどこで交通事故を起こすか、それにより気持ちが落ちこんで寝込んでしまわないか心配な息子と嫁。
息子と嫁は、来年に免許返納させるのだというが、どう切り出すか、どう説得するか、悩んでいるのだという。
これはある家族のエピソードであるが、他の家庭でも共通したものではなかろうか。近年TVで大きく取り上げられた茅ヶ崎、東池袋、横浜などの高齢者による自動車事故などの影響もあり、「免許返納」が悩みの種となっている。
■免許返納をゴールにしないで
高齢者が運転するクルマの事故を削減するためには、免許返納は有効かもしれない。しかし、免許返納は慎重に行わなければ老いを加速させたり、寿命を縮めたりすることもある。
東京都のA氏は、乾物屋を営んでいた。軽自動車で毎日仕入れに行っていたのだが、息子がA氏の年老いていく様子をみて心配になり、半ば強制的に運転免許証を取り上げてしまった。A氏は、免許返納を機に店をたたみ、自宅にひきこもってしまい、一気に老け込んでしまった。A氏は免許返納により社会とのつながりを失ったのだ。そしてA氏に代わって仕事を店を切り盛りしたのは妻だった。大変苦労したのだという。
高校の教諭だったB氏は、登山や絵画が趣味で誇り高い人だった。そんなB氏が定年後に始めたのが「旧街道巡り」だ。江戸時代の旅を再現しようと精力的に活動していた。クルマで宿場を巡ることが唯一の生きがいになっていた。ところが、この旅が原因なのか腰を痛めてしまった。次第に歩くこともままならなくなったが、しかしいわゆるフレイル(心身の活力低下)が進行し、周りから見ると危ないなというクルマの運転状況になってしまった。
B氏はまだしっかりしていて、元気だという自負があったのでクルマの免許を返納していなかった。ところが見かねた家族が、強制的に免許返納させてしまった。これが自尊心を傷つけてしまったようで、B氏は自殺してしまった。家族は悔やんでも悔やみきれず、B氏が亡くなったのはもう随分前のことだが、自身を責め続けている。
筑波大学医学医療系の市川政雄教授の研究によると、運転をやめた人の要介護認定のリスクは運転を続けている人に比べて約2倍に上るという。
免許返納をゴールにすると、免許返納後の本人や家族の人生が狂いかねない。
■いつか来る返納に備えて歳を重ねよう
前出の市川教授の研究によると、運転をやめても公共交通機関や自転車を利用している人は要介護認定のリスクが約2倍から1・7倍に抑えられるのだという。
はじめに紹介した80代の女性は、体力が落ちて他の移動手段が使えない80歳過ぎまで、クルマだけに頼った暮らしを続けたため、自転車をこぐ力もバス停に歩いていく力も残存しているかどうか危ういものがある。免許返納に備えて、他の移動手段で生活する準備をしてこなかったからだ。
こうならないためにも、いつか来る免許返納に備えてクルマ以外に、もう一つ自由な足の確保を家族や街ぐるみで考えてみてはいかがだろうか。
◆楠田悦子(くすだ・えつこ) 心豊かな暮らしと社会のための、移動手段・サービスの高度化・多様化と環境について、分野横断的、多層的に国内外を比較しながら考える。自動車新聞社のモビリティビジネス専門誌「LIGARE」初代編集長を経て、2013年に独立。自治体や国の有識者会議委員などもつとめる。
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楠田悦子氏が執筆・編集に関わった書籍『「移動貧困社会」からの脱却 -免許返納問題で生まれる新たなモビリティ・マーケット』が12月10日に出版される。
日本社会は「移動貧困」な状態にあると言われている。たとえば、高齢ドライバーによる痛ましい自動車事故が相次いでいるが、自動車を自分で運転する以外の移動手段がない人も多い。身の回りの環境に目を向けても車いすやベビーカーが使いやすい街づくりがされているとは言い難い。
歳を重ねても、障害があっても、安全で自由な移動に困らない心豊かな暮らしと社会はどのようにすれば実現できるのか…。楠田氏によると現状を不幸なこととして嘆くより、「新たな成長マーケット」として生かしていく方策を国民的レベルで考えることが求められているという。「モビリティ(移動手段)」の未来について、多様な視点から問題提起を行うとともに、具体的な解決策を紹介する。
時事通信社発行。256ページ、1600円(税別)。