「摂食障害も私の一部。だから一緒に生きる」16歳から15年間自分を蔑み続けた女性が、前を向けた理由
「太ったと言われるのが怖くて人の目が見られなくなった。買ったものをトイレで食べて吐きながら、『自分は化け物だ。人間として終わった、もう廃人なんだ』と、ただただ自己嫌悪でした」
16歳から摂食障害に苦しんだ稲岡加那子さん(35)は、当時をそう振り返る。
きっかけは、中学の部活を引退後、少し太ったことだった。元々周囲の目に敏感なタイプだったが「太った途端に周りの目が変わったと感じた。男子からもからかわれるし、太ったら愛されないんだと思った」と話す。雑誌の広告にある脂肪を落とすサプリなどを試したが効果は出ず、悩んでいた時にテレビの摂食障害特集で「食べて吐く」人たちを知り「吐いたら、食べたい気持ちと痩せたい気持ちをどっちも実現できる」と飛びついた。
■過食するために借金、職も失い…「診断で救われた」
大学に入学してしばらく過食嘔吐は治まっていたが、2年の時に「きちんとダイエットをしよう」と一日中ヨガをし、納豆や豆腐、ワカメしか食べない生活を続けていたある日、過食が止まらなくなった。体重が0.5㎏増えただけで発狂しそうだったのに、1日に1~2㎏は軽く増える。シェアハウスで暮らしていたため、スーパーでカゴ一杯買ってはトイレで食べて吐いた。それ以外は人に会うのが怖くて部屋から出られず、大学もバイトも行けなくなり、休学して実家に戻ることになった。
実家の父は「ええよ」というだけで何も聞かなかった。「詮索もされず、自然にしてくれていたのが救いでした」と稲岡さん。症状は少しずつ治まり、半年で復学し、半年遅れで卒業し、就職した。だが、そこでまた体調を崩した。
「私は10まで理解して仕事を進めたいタイプ。でもその会社は1、2しか教えられず後はひたすら根性論だった」。ノイローゼになり、朝起きられず遅刻して始末書を書き、電話も取れず上司には至近距離で睨まれた。ストレスと比例して過食嘔吐も悪化。3年粘ったがその頃には月々の給料では食費を賄えず、消費者金融で借りてはボーナスで返す生活に。その後、営業職に転職したが厳しいノルマなどでうつ症状が悪化し、初めて受診した心療内科で「双極性障害」と診断された。
「診断されて、ショックよりも、ある意味ホッとしたんです。自分でも調子の波は激しいと思っていたけれど、『ああそういう病気なんだ、怠けだと自分を責めなくてもいいんだ』と思えた」。だが経済的には困窮した。借金や奨学金の返済、家賃の支払い…。心配をかけたくないと親には言えず、「自分でどうにかしなきゃ」と夜の街でも働いた。何とか返済はできたが、そのストレスでまた、食べては吐いた。
■ 知人の死…「命に申し訳ない。しんどくても『自分』でいたい」
その後、知人を通じて就労支援A型事業所で働くようになったが、同僚をがんで亡くした。「ショックでした。まだ若かったのに…。私は毎日『死にたい』とばかり思ってた。でもこんな状態でも私は生きてる。こんな抜け殻のような状態のまま70歳、80歳まで生き続けるのは、『命』に申し訳ない。そう思ったんです」。
それ以来、ネットや本で自己肯定感を高める言葉を必死で探した。摂食障害を公表しているYouTuberの動画を目にして勇気づけられ、人の目や気持ちを気にしすぎる自分の特性も“才能”だと思うようにすると、少し自分を許せた気がした。
すると、心の支えだったはずのピアノやギターに触れていないことに気付いた。「薬を飲むとずっとボーっとして、気分が落ちすぎない代わりに、弾きたい気持ちや喜びもなかった。でも何が自分らしいか考えたら、しんどくても音楽をしたい…って」。体調と相談しながら時間をかけ、少しずつ薬を減らした。通勤も徒歩にした。その効果もあったのか体重は10㎏ほど減った。数カ月たち、ようやく自分の感覚が戻って来るように感じた。
クリアになった目で周囲を見ると、知的障害と聴覚障害がある人がプロダンサーの夢に本気で向かって努力を重ね、知的障害があり、心臓にペースメーカーを付けた人が友人と毎日を思いっきり楽しんでいた。
「それまで、摂食障害を治してからでしか人生はやり直せないし、夢なんて持っちゃいけないと思いこんでいた。でも、私よりもっと大変な状況でも人生を楽しんでいる人は大勢いる。毎日楽しく生きていいんだと思えた。ずっと摂食障害は自分の全てだと思ってたけど『一部』でしかないと気付いたら、やりたいことが次々に見えてきたんです」
5年ほどかけ、仕事では社長の片腕的なポジションを任されるまでになった。2年前からはYouTubeも始め、カフェでライブも開催。昨年6月には、摂食障害のアクションデーのオンラインイベントで、自らの経験と回復していく過程を語った。
■国内患者数は約21万人 コロナ禍で増加の懸念も
厚生労働省は、過食や拒食に代表される摂食障害の国内患者数は約21万人超に上ると推計。10~20代の女性に多く、低年齢化やコロナ禍での患者数増加も懸念されているが、今のところ特効薬はない。医療機関を受診していないケースも多く、世間では未だ「ダイエットの延長」「本人のわがまま」といった誤った認識も根強い。
こうした現状に、稲岡さんは体験を伝えるだけでなく、自分と同じように障害があっても人と交流する場所や経験をもっと増やそうと、事業所を辞めて5カ月かけて摂食障害のある人向けの支援プログラムを作り上げた。その後、障害者自立訓練事業所の立ち上げを計画している会社に就職。自身の経験や支援プログラムをもとに、本格的に摂食障害支援に取り組むことになった。
「精神障害者手帳を受け取ったとき、『ああ自分は劣等人間なんだ』『守られる側なんだ』と思ってしまった。言葉って怖いですよね。でも、本当はそうじゃない。精神障害も摂食障害も、誰でも発症しうるし、能力が高くバリバリ勉強や仕事をする人もなる、むしろそういう人がなりやすい」と稲岡さん。「そして、頑張る人ほど『回復しなきゃ』『完治させなきゃだめだ』と思い詰めて、ますます自分を追い込んでしまう。誰よりも本人が、自分自身を否定してしまっているんです。一番大切なのは、その状態からどう回復させられるか。私の経験も、少しでも役立てられたら」と力を込める。
事業所は昨年末にオープンした。今も時折、摂食障害の症状が出ることもある。「でもそれは、ブレーキの一つなんだと気付いた。そういう時は私は頑張り過ぎているサインで、息抜きが必要な時。そう思うと自己嫌悪もなくなり、うまく休めるようになったんですよ」
(まいどなニュース・広畑 千春)