辛いときにそばに居られなかった…友人の自死を乗り越えて
私の体験談です。先日、高校時代からの友人Aくん(宮城県在住・30代)を自死により亡くしました。
私がAくんと出会ったのは、高1のときに始めたアルバイト先。Aくんはいつも明るく、みんなを笑わせてくれました。
卒業後、アルバイト先を離れても共通の友人たちと集まっては楽しいひとときを過ごしていました。
20代のころは会うたび、電話が来るたび「誰か紹介してよー!」と話すAくんでしたが、いつのまにか彼女ができ幸せそうにしていたのを覚えています。
その後、30代前半でAくんは結婚。結婚と同時に家を建てたAくんに私たちはみんなでお祝いにお掃除ロボットをプレゼントしました。
■Aくんと最期に会ったのは2カ月前
Aくんと私は家が近所にあることもあり、近くのコンビニでばったり会うことがありました。お互いの近況を話し、またねと話す日々。
そんな私がAくんに最期に会ったのは私の職場でした。
「久しぶり!」と声をかけ、またみんなで集まろうねと話して別れたのが最期の会話になってしまうとは、この時は思いもしませんでした。
■夜に鳴った電話
ある日、共通の友人Bちゃんから電話がありました。その震えた声になにかただならぬ予感がした私が「なにがあったの!?」と聞くと、Bちゃんから聞かされたのはAくんが自死により、亡くなったという報告でした。
「は?冗談やめてよ」と返しましたが、冗談ではなく事実。一瞬で頭が真っ白になった私でしたが、電話の向こうで泣きじゃくるBちゃんを放っておくわけにいかず、まずは落ち着かせることを選びました。
その後、新型コロナウイルスの影響もあり近親者と友人のみで執り行われた葬儀。Aくんの奥様とはこの日初めてお会いしました。気丈に振る舞う奥様の隣には小さな2人の子どもたちがいました。
■なんで?と自問する日々
原因は?考えても考えても答えがでない。そんな日々を送っていた私。しかし、答えは本人にしかわからない。ショックを受けている友人たちを支えながら一日一日を過ごしていたのですが、葬儀から2週間が経ったころ奥様に会う機会がありました。
葬儀への参加のお礼と、シングルマザーとしての不安をぽつりぽつりと話す奥様。
「私たちよりも遺された奥様と子どもたちが一番辛いんだ。私たちが支えていかなければ!」と感じた私は、「いつでも連絡して!一人で悩んじゃだめです!」と奥様に話しました。奥様は「まだ、現実を受け止められない」と話していましたが、時間が経ち忙しさから解放されたときが心配。その時は必ず連絡をしてほしいと話し、了承してもらいました。
■友人としてできること
今回の体験で私や友人たちは強く後悔をしてしまいました。なにかできることはなかったのか。そう思う気持ちは現在も頭を離れません。しかし、Aくんはもう帰ってはきません。
私たちは今回のことで必ず毎年集まることを約束しました。なにがあってもお互い味方でいようと。迷わずに連絡しようと話しました。
Aくんの笑顔はもう見られなくなってしまいましたが、Aくんの思い出話をしよう。そう誰もが口々に話したのです。そして、私たちが遺されたAくん家族を支えていくと決めました。
ニュースなどで自死の報道がありますが、身近に起こらなければわからなかった痛みを私たちは体験しました。同じ気持ちになる人が一人でも減りますように、との思いからこの話をさせていただきました。
みんな一人じゃない。必ずあなたを必要としている人はいます。
(まいどなニュース特約・島田 志麻)