「すべからく」「おもむろに」…本来の意味から離れて使われることがある言葉たちが話題に
「すべからく」「おもむろに」「鳥肌が立つ」「さわり」…
本来の意味から離れて使われることがある言葉たちがTwitter上で大きな注目を集めている。
きっかけになったのは小説を中心とした情報を発信する文芸Webマガジン「蓼食う本の虫」の投稿。
「すべからく」は「すべて」という意味ではないし、「おもむろに」は「突然」「不意に」と言う意味ではないのだが、近年はたしかに本来の用法とは違った使われ方をしている。この投稿に対しSNSユーザー達からは「"全然"これ、小学生のときにテレビで"全然いける!美味しい!"ってタレントが言ってたのがめちゃくちゃに気になってだけど、いつの間にか当然のように使われるようになってきた。解せぬ」「三蔵法師が次回予告で"すべからく観よ"と言っていたのでそれだけは絶対に間違えません!」「全部間違ってる方で覚えてました…日本語って難しい!でも今知ることが出来て良かったです」など数々のコメントが寄せられているのだ。
「蓼食う本の虫」の運営者にお話をうかがってみた。
中将タカノリ(以下「中将」):今回のご投稿をされたきっかけをお聞かせください。
運営者:蓼食う本の虫というWebサイトでは、2016年から小説を書く・読むことを中心に幅広い文芸情報を発信しており、その一環としてTwitterアカウントの運用も行っております。
そんな中、1月中旬に、小説を書いている方におすすめしたいWebサービスを紹介するツイートを投稿したところ、多くの方に読んでいただくことができました。
これをきっかけに、小説を書いている方に役立つ情報を継続的に提供できたらと思い、その後もツイートを続けています。今回の「本来の意味から離れて使われることがある言葉たち」も、そういったツイートの中の一つとなります。
また、今回「本来の意味から離れて使われる言葉ある言葉たち」とう題材を選んだ理由は、個人的に「すべからく」を「すべて」という意味で使う人がとても多いと常々と感じていたことにあります。いわゆる「誤用」と揶揄されることの多い用法を集めて紹介することで、小説を書いている方の語彙が豊かになれば良いな、と考えていました。
中将:他にも同様の例があれば教えていただけないでしょうか?
運営者:たくさんの方に読んでいただけたので今後も同様のツイートしたいなと考えており、そこでは「確信犯」や「性癖」を取り上げようと思っていました。どちらも、本来の意味から離れて使われていることが多いな、と思う言葉たちです。そして、僕も大抵は本来の意味から離れて使います。特に「性癖」は。
実はこういった類の言葉は、文化庁が毎年行っている「国語に関する世論調査」を見てみると、かなり色んな言葉が出てきます。
令和元年度の調査では、「手をこまねく」「敷居が高い」「浮足立つ」が紹介されていますね。僕も「手をこまねく」と「浮足立つ」に関しては、本来の意味とされてきたものとは違う意味で日常的に使っていたので、とても驚きました。
中将:ご投稿に対しさまざまなご意見が寄せられていますが、今回の反響へのご感想をお聞かせください。
運営者:僕は大学時代に日本語日本文学を専攻していて、わずかではありますが日本語学・言語学について学んできたこともあり、言葉の意味の移り変わりにはとても興味があります。そのため、一概に「誤用」というレッテルを貼るのには抵抗があり、今回も文化庁の調査でも使われている表現を真似て「本来の意味から離れて使われることがある言葉たち」という言葉を用いました。しかし、引用RTなどを拝見するとストレートに「誤用」という言葉を使っている方が散見され、なかなか難しいものがあるなと感じました。もちろん、僕が普段「誤用」と揶揄されることが特に多いと思った言葉から4つ選んだので、当然といえば当然ではあるのですが…。
「貴様」や「お前」などは元々目上の人を指し示す言葉であったのに、今は同等もしくは目下の人を指し示す言葉になっています。そのように、言葉というものは本来持っていた意味が変質してしまうものです。また、同一の言葉がそれぞれの話者の間で全く同じ意味の射程を持つこともないでしょう。たとえば、僕の思う「楽しい」と他の人が考える「楽しい」は、全く同一ではないはずです。そういった中で、ただ「その使い方は間違っている」「言葉は生き物だから仕方ない」という断定的な言い方で議論を終わりにしてしまうのではなく、この単語は今どういった意味を持ち、どういった風に流通していて、どういった意味を新たに帯びていくのか…というように、今この場所でその言葉たちが持っている意味を考えて吟味した方が楽しくて豊かなのではないかな、と考えています。
また、このツイートに対する反応の中で、「"たち"は人間や生物につくものなので、"言葉"につくのは不自然だ」といったような意味合いのものを見つけました。これは全く意識していなかったことで、たしかに普通は、無生物に「たち」をつけることはありませんね。これは、僕が無生物を生物っぽく表現する擬人法のようなレトリックを好むことに起因しているように思います。しかし、「本来の意味から離れて使われることから離れて使われる言葉」というツイートの趣旨からは反している部分もあるので、もっともなご指摘だなと思いました。ただ、だからといって「言葉」を複数形にするとどういった表現が可能なのかは、また難しいところではあるのですが…。
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現代人が平安時代の書物を簡単には読めないことからもわかるように、言葉は絶えずうつろい続けている。「蓼食う本の虫」の運営者の方がおっしゃるように、その用法が正しいか間違っているかではなく、時代を反映してどのように変化しているのかという目線で観察したほうが奥深い楽しみ方ができそうだ。
「蓼食う本の虫」のTwitterアカウントでは今回ご紹介したもの以外にも、さまざまな書籍の情報や、文芸を愛する人にとって役立つ情報を発信している。ご興味のある方はぜひチェックしていただきたい。
(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)