応援歌から球場名が消えて…ドラゴンズファン歴45年の思い「バンテリンドームと入れれば良かったのに」

 プロ野球中日ドラゴンズの応援歌として1974年から親しまれてきた「燃えよドラゴンズ!」の歌詞から球場名がなくなり、中日ファンがざわついている。今年からネーミングライツで「バンテリンドームナゴヤ」と少々長い球場名になったことを受けての変更のようだが、ファンからは「高っかいお金払っとるんもんでさ、バンテリンドームでええが」という声も挙がっている。

 敵にも味方にも耳に残る「燃えよドラゴンズ!」が世に出たのは巨人V9の終末、中日20年ぶりのリーグ優勝となる1974年のことだった。当時は「中日球場」が歌詞に使われ、その後、本拠地の変更に伴い「ナゴヤ球場」「ナゴヤドーム」と変遷した。

 しかし、今度の新バージョンは「ナゴヤドームにつめかけた」の部分が「戦う中日夢強く」となり「僕らをじーんとしびれさす」と続く。球場名が消えたのは今回が初めてで、これはナゴヤドームのネーミングライツを医薬品の「興和」(本社・名古屋市)が5年契約で取得。バンテリンドームナゴヤになった影響とみられる。

 ご存じのように歌詞の内容は基本打順を追いながら選手名と、そのキャラクターが反映されるもので、時代ごとのバージョンがある。

1番高木が塁に出て

2番谷木が送りバント

3番井上タイムリー

4番マーチンホームラン

いいぞがんばれドラゴンズ 燃えよドラゴンズ!

■「バンテリンドームと入れれば良かったのに」

 この初期バージョンを”子守歌”代わりに育ったのが今回、中日ファンの代表として登場願った吉田勝利さん(51)だ。吉田さんは岐阜市にある携帯電話販売代理業「AIC」の代表取締役であり、中央・地方の馬主として活躍するかたわら毎年年間シートを購入、昨年も20試合以上、球場で生観戦している。

 「ファン歴はかれこれ45年。親父が少年ドラゴンズ会員に入れてくれていたのでイヤーブックを隅から隅まで見ていました。世代的には1番田尾、2番平野~の時代ですが、話していると、ついつい♪1番田尾が~と歌ってしまいますね」

 応援に火が付いたのは中学時代の昭和57年。近藤貞雄監督2年目のシーズンは130試合目でのリーグ制覇というしびれる展開にハマり、翌年は岐阜から毎試合のように球場へ通った。

 「優勝したときの中スポ(中日スポーツ)の紙面はきれいなままずっと飾っていたほど。ところが翌年はめちゃくちゃ弱くて、夏前には外野はガラガラ。しばらくすると応援団の人と仲良くなって、9月には応援団に入ることに。このとき、10月だけでホームランボールを4個、手に入れました。そこからいままでで33個。オールスターで巨人の中畑が放ったものから大島、落合、最後は福留のをゲットしました」

 他の中日ファンと同様に歌詞の変更には慣れっこだ。

 「だって、カラオケだけでも5、6曲ありますから。だから今年の歌も聴いていくうちに慣れてくると思うけれど、球場名が消えたのは寂しい。せっかくだからバンテリンドームと入れれば良かったのにと思います。高いお金を払って、ネーミングライツを取得したわけだし、バンテリンドームにつめかけた、と歌っていたらなじんでくるのでは。もちろん、チームの成績も大事です。日曜日のデーゲームで勝つと火曜日まで楽しい時間が長いから」

■作詞家は「中日という言葉を入れたかった」

 一方、ヤッターマンやタイムボカンなどのアニメソングでも知られ、作詞作曲を手掛けてきたシンガー・ソングライターの山本正之さん(69)は球団を通じて「楽曲に中日という言葉がほとんど入っていないことが気になっていた。私は子どものころから中日ファンなので、中日という言葉を入れたかった」と新しい歌詞への思いを伝えた。

 球団職員の1人は「チームには戦う中日夢強く、のように優勝という夢に向かって突っ走っていただきたい。ファンの方は安心安全をモットーにバンテリンドームナゴヤにお迎えしたい」と話す。名古屋在住の友人からは球場周辺の場所の表記がナゴヤドーム、バンテリンドームと入り乱れて混乱気味と聞くが、そのうち慣れてくるだろう。いずれにしろ「燃えよドラゴンズ!」注目の新バージョンは16日、巨人とのオープン戦から流れる。

(まいどなニュース特約・山本 智行)

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