開けたキャリーバッグにぴょこんと入り「連れて帰って」…訴える猫の瞳に、新入社員は心を決めた
ちびりんちゃん(メス・15歳)は、大分県に住むゆうみんさんが勤める会社に住み着いた外猫だった。日中は社屋の中で社長夫妻の飼い猫と暮らしていたが、退勤時には警備システムが作動する都合上、外に出さなければならなかった。ゆうみんさんは、「外に出たくない」アピールをするちびりんちゃんのことがずっと気にかかっていた。
■猫たちは招き猫
会社は、幹線道路を挟んで眼前に一級河川をのぞむ、周りを野山で囲まれた広大な敷地にあった。社長と経理部長の奥さんは大の猫好きで、どこかからひょっこりやってきた「みいちゃん」という猫を飼っていた。営業で来社する人に「うちの専務のみいちゃんです」と紹介するほど溺愛していたという。
会社の敷地内には、外猫用の大きな小屋があり、敷地の隅の土手のそばに川砂を山のように積んだ猫用トイレもあった。事務所や休憩所の床下には、段ボールや発泡スチロールに古着などを敷いた猫用ベッドを何個も設置するほど、至れり尽くせり。「猫たちはうちの招き猫だから大事にしないと」と社長夫妻は口癖のように言っていた。
■居心地のいい事務所がお気に入りに
猫たちにエサを与えたり、トイレの掃除をしたり、不妊手術や治療のための通院も、ゆうみんさんの仕事だった。ゆうみんさんが勤め始めて1か月経った2006年5月、外猫のセラちゃんが5匹の子猫を連れてきた。生後1か月半くらいだった。山の中で育てていたようだ。その中に1匹だけ、他の子に比べるととても小さな子がいて、エサを与えても食べるのが下手だった。もたもたしていると他の兄弟に横取りされてしまい、いつも満足に食べられずにいた。
「きっとミルクも上手に飲めなかったのでしょう。他の子猫たちが草むらでじゃれ合ったり、走りまわったりしているのを、建物の隅にじっと座り込んで見ていました」
ある日、みいちゃんが外遊びから事務所に戻ってくると、その小さな子猫が一緒についてきて、みいちゃんにくっついて昼寝を始めた。それからというもの、毎朝みいちゃんが出勤してくると子猫はすぐに事務所に入ってきて、夕方まで過ごすようになった。奥さんも小さな子猫を不憫に思ったようで、「ちびりん」と名付けて、事務所の中でみいちゃんと一緒に給餌した。
■もう外に出たくない!一緒に連れて帰って
しかし、夕方の退勤時間になると子猫を外に出さなければならなかった。玄関から外に出すと、子猫はくるりと裏に回って、窓の開いている社長室から中に入ってきて、「出たくない」とアピールした。
事務所の中には猫用トイレとベッドがあったが、猫が動き回ると警備システムが作動してしまうので、どうしても出さなければならない。ゆうみんさんは、毎日心を鬼にして「また明日ね」と子猫を外に出し、施錠して退勤した。
季節は夏から秋、冬へと移ろい、その頃にはゆうみんさんも奥さんもすっかり、ちびりんちゃんに情が移っていた。年末年始の長期休業を間近に控えたある日の夕方、帰り支度を始めた奥さんがみいちゃんのキャリーバッグを開けると、みいちゃんより先にちびりんちゃんが中に入り、ちょこんと座った。その姿を見た時、ゆうみんさんの心は決まった。
「奥さん、私がちびりんを家に連れて帰ります。うちの子にします」と思わず言っていた。
奥さんは、「大丈夫?無理してない?ちびりんのためには嬉しいことだけど、まだまだこれから、子供さんにもお金がかかるのよ。家計の負担になるんじゃないの」と言った。ゆうみんさんは「なんとかやりくりするので大丈夫です。なんとかやりくりします。元々、私の実家は代々猫を飼っていて、物心ついてからずっと猫と一緒に暮らしていました。今も実家には猫が何匹もいますし、結婚、出産、離婚と波乱万丈の生活だったので、猫と一緒に暮らすことから離れていましたが、この会社に勤め始めて、改めて私は猫が好きなんだなぁ、と実感しました」と答えた。奥さんは「ありがとう、そうしたら、毎日、ちびりんと出勤していらっしゃい、今まで通り、日中も一緒に過ごしたら安心でしょう。不妊手術などのお金は援助するから」と気遣ってくれた。
■キャリーバッグは幸せな場所
2006年12月20日、ちびりんちゃんはゆうみんさんの子になった。
「会社を退職するまでの8年間、毎日一緒に通勤し、24時間ちびりんと一緒に過ごしました。なので、今でも、ちびりんはキャリーバッグが大好きです。楽しくいい思い出が詰まっているからです。キャリーバッグに入ったら、幸せが待っていると、記憶しているのでしょう。我が家にいる他の猫を病院に連れて行くために開けたキャリーバッグに、一目散に走って行って、中に入りちょこんと座って待っているちびりんが、可愛くてしょうがありません」
ちびりんちゃんも、4月には15歳になる。最近、急に年老いたように見えるという。高いところにジャンプして登ることもなくなり、歩き方も緩慢になった。ゆうみんさんは、「もっともっと長生きして欲しいけど、別れるときの覚悟もしなければならないのかなあ」と、考え込む日が増えた。
幸いにも今は健康そのもの。このまま、健康で長生きして欲しいと願っている。
(まいどなニュース特約・渡辺 陽)