「イチコク」なのに国道2号、「ニコク」といえば国道43号!? 惑わされないで…阪神間での道路の呼び方

 大阪と神戸の間、いわゆる阪神エリアに住む人のなかには、国道2号を「イチコク」と呼ぶ人がわりあいいらっしゃいます。ある程度お年を召した方、JRをついつい「国鉄」とか呼んでしまう年代の方が多いのですが。そしてその人達は、国道2号と並行して東西に走る国道43号を「ニコク」と呼ぶのです。

■地元の人の「ニコク」に惑わされないようにしましょう

 「そうそう、大阪から来るんやったらニコクで来て、武庫川の橋を越えたらすぐ左手に武庫女(武庫川女子大学)が見えるから、その最初の信号を左へ曲がって……」という道案内を聞くと、阪神エリア以外の人はたいてい「国道2号で行くといいのだな」と思いますよね。でもこの場合の「ニコク」は「国道43号」なのです。ややこしいですね。でもこれ実は事情を知ると単純なことで、ニコクというのはつまり「第二阪神国道」の略称なんですね。

 そして国道2号は「第一阪神国道」、そう「イチコク」なんです。

 東京の日本橋から大阪の梅田新道を結ぶ、天下の国道1号。国道の終点というのは行き止まりだったり、別の国道に行き当たっていたり、いろいろなパターンがありますが、国道1号は梅田新道交差点でそのまままっすぐ国道2号に変身します。そして西へ西へ、神戸を抜けて姫路、岡山、広島と通過して、関門トンネルをくぐって北九州市の門司区で今度は国道3号になるんですね。

 国道2号は概ね昔の山陽道と重なっていますが、もともとその山陽道は京都から神戸へ大阪を通らずに結んでいました。なので国道2号の大阪から神戸の部分はルーツが山陽道ではありません。もともと「阪神国道」として整備が進められて、昭和元年に開通したとされています。最初から阪神電鉄の阪神国道線が通ることになっていたようで、こちらは翌昭和二年に開業しています。もしかするとこの阪神国道線の計画の方が先にあったのかもしれません。

 大阪から西宮までの区間に関しては、明治18年に内務省告示第6号の「國道表」で、「二十六號『大坂府ト廣島鎭臺トヲ拘聯スル路線』」と指定された、という記録がありますので、もともとの道路があったのでしょう。その先神戸までがこのときに整備されたのでしょうね。

■「ニコク」と呼ばれた国道43号とは

 では第二阪神国道、国道43号が開通したのはというと、大阪万博が開催された昭和45年、1970年です。大阪市西成区の国道26号花園交差点から神戸市灘区の国道2号岩屋交差点まで、総延長30km。増え続ける交通量に国道2号だけでは対応できなくなってきたということで計画されました。

 建設中から「50メートル道路」と呼ばれて、その幅の広さが沿線住民の話題になっていたようです。道路が開通した当時は、片側5車線もありました。

 その後、交通量が増えてくると沿線の公害が深刻になって、沿線住民が健康被害を訴えて集団訴訟に発展しました。そのためもあって国道43号は段階的に車線が減らされて、いまは片側3車線です。さらにこの広い道路でありながら、制限速度は40km/hに抑えられています。高架部分など、まるで高速道路のように立派な道路なので、地元以外の人はまさかここが40キロ制限だとは思わないのでしょう、よく取締に遭っていますね。

 さて、そんなイチコクとニコク事情ですが、阪神間の住民でも近頃はこういう経緯を知らない人が多くなってきました。国道43号のヨンサンという呼び名が定着するのに合わせて、国道2号がニコクと呼ばれることも増えてきました。なんだかとってもややこしいですが、いましばらくは「イチコク・ニコクの人達」と「ニコク・ヨンサンの人達」がオーバーラップする時代が続くと思われますので、阪神エリアを訪れる旅人の皆様はどうぞ誤解なきよう、お気をつけくださいませ。

(まいどなニュース特約・小嶋 あきら)

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