「五輪の開催権は返上できる。巨額の賠償金を請求される可能性は高くない。」豊田真由子が詳しく解説<前編>

緊急事態宣言が期間延長・地域拡大される中、東京五輪・パラリンピック開幕まで、予定では、あと9週間あまり(五輪は7月23日、パラリンピックは8月24日開会)となりました。

開催を懸念する声が、国内外で高まる中、『安全安心』を具体的にどう確保するのかという大きな課題が横たわっているわけですが、最近よくご質問を受ける「日本が五輪を中止することはできないの?」という件について、賠償金の問題等含め、「開催都市契約」や過去の事例等のファクトを基に、精査してみたいと思います。五輪が開催されるにしても、中止されるにしても、国民には、正確な情報が知らされるべきだと思うからです。

■日本から中止を言い出すことはできないの!?

<ポイント>

たしかに、「五輪を中止する権利」を有するのは国際オリンピック委員会(IOC)ですが、開催国(開催都市・日本オリンピック委員会)は、「開催権の返上」という形で、IOCに変更を考慮するよう、要求できる、と私は考えます。

IOCと、開催都市である東京都と日本オリンピック委員会(JOC)との間で締結された「開催都市契約」では、「66条:契約の解除」において、「IOC は、戦争状態、内乱、ボイコット等の状況にある場合、または IOC がその単独の裁量で、本大会参加者の安全が、理由の如何を問わず、深刻に脅かされると信じるに足る合理的な根拠がある場合等は、本契約を解除して、開催都市における本大会を中止する権利を有する。」とされています。

大会の解除については、契約にはこの規定しかないため、「中止の権限はIOCにしかない」と言われるのです。なお、「IOCが契約を解除した場合、開催都市や組織委員会は、損害賠償等の権利を放棄する(=IOCは損害賠償請求をされない)」とされています。

このように、五輪の「開催都市契約」の内容は、圧倒的にIOCに有利な規定になっています。(これは、東京五輪に限った話ではありません。)

そして、開催都市契約「71条:予測できない、または不当な困難」 においては、「本契約の締結日には予見できなかった不当な困難が生じた場合、組織委員会は、その状況において合理的な変更を考慮するように IOC に要求できる。ただしその変更が、本大会または IOC のいずれに対しても悪影響を与えず、IOC の裁量に委ねられることを条件とする。また、IOC は変更への同意等の義務を負わない。」とされています。

こうしたことを踏まえれば、「契約を解除し、中止を決定する」のはIOCだとしても、私は、契約上の文言からも、社会通念上の解釈においても、日本(東京都やJOC、組織委員会)が、「開催権を返上すること」までが排除されているとはいえないと考えます。日本が開催権を返上した場合、それを受けて、IOCが同意をして大会を中止する、という流れであれば、契約にも適合します。(IOCが同意しない、という可能性が無いわけではありませんが…。)

実際に、1940年に開催が予定されていた東京オリンピックは、日中戦争の激化をはじめとする国際情勢の悪化、物資の統制化、相次ぐ国内外からの大会返上の呼びかけ等を受け、東京大会を返上することが閣議決定されました。本来であれば、東京大会組織委員会が自発的に返上を決定してしかるべきでしたが、返上決定は政府主導で行われました。厚生大臣を通じて組織委員会へ通達し、この結果、組織委員会は、IOC に第 12 回オリンピック開催権を返上しました。(国立国会図書館「もう一つのオリンピック」)

東京大会返上決定を伝える1938年当時の新聞記事には、「東京大会を主催するのは政府ではなく、組織委員会であり、組織委員会はIOCの委嘱を受けたものであるから、中止と決定すれば、これをまずIOCに返上せねばならない。」との趣旨が解説されています。

■巨額の賠償金を請求されるってホント!?

<ポイント>

・日本と世界の人々の生命と安全を守るため、コロナ渦でやむを得ず中止するということについて、社会通念、倫理、国内外の現状の世論等を踏まえれば、本当にIOCが、巨額の賠償金を支払え、と日本に言ってくるでしょうか?

・IOC、組織委員会、メディア、スポンサー等は、五輪に関し、基本、保険に入っているので、ある程度は保険でカバーされるはず。

「開催都市契約」には、日本が開催権を返上して、中止となり、結果として義務を履行できなった場合の「違約金」の規定はありませんが、一方で、通常、天災や戦争等の事態に適用される不可抗力条項(※)がなく、したがって、開催義務を持つ日本側から開催権を返上した場合に、IOCから損害賠償を請求される可能性はあります。

(※)不可抗力条項(Force Majeure)とは、天災、地震、戦争、暴動、テロ、感染症の流行等、当事者のコントロールの及ばない事由が発生した場合に、債務の履行ができない、または債務の履行が遅延した場合に、債務者が債務不履行責任や履行遅滞責任を負わない旨などを定める条項です。国際契約では、当事者間で特段合意していなくとも、原則として、不可抗力の事態が生じた場合に債務の不履行は免責されませんので、免責のためには、不可抗力条項を設けることが必要ですが、五輪の開催都市契約にはありません。

しかしながら、

・新型ウイルスの世界的流行という事態において、日本が「自国民と世界の人々の生命と安全を守るため」に、やむなく五輪を開催できない、としたことをもって、IOC(や、間接的にはTV局やスポンサー等)が、日本に巨額の賠償金を請求するということが、社会通念や法理論上、妥当と認められるでしょうか?

「実際にかかった経費」の一部を支払え、といったことはあり得るかもしれませんが、いわゆる利益を大きく上乗せした金額を要求することを、国際社会含め、世の中がどう受け止めるでしょうか?

・むしろ本来、五輪を中止する権限を有するIOCが、新型コロナパンデミックによって「本大会参加者の安全が、深刻に脅かされる」(66条)と判断して、自ら中止と判断すべきであった、ということにはならないでしょうか?それを自らは言い出さず、日本に言わせておいて、加えて、巨額の賠償金を取ろうとする、という行為が、倫理上、適切と認められるでしょうか。

・日本国内はもとより、世界各地で開催反対の声が上がる中、「日本の判断はけしからん!」という流れにもならないだろうと思います。

・IOCや組織委員会、報道機関等は、中止の場合等に備えた保険に加入しており、東京五輪にかけられている保険は約2~30億ドル(現在のレートで、約2200~3300億円)と試算されています。これまでの支出や予定された利益が全額補填されるわけではありませんが、かなりの金額が保険で支払われることになります。

(※)「開催都市契約」の「60条:保険」において、「組織委員会は、本大会の計画、組織、財務、運営にかかわるすべてのリスクを補償対象とする適切な保険を、自己負担で確保し維持するものとする。さらに、組織委員会が本大会に関する中止についての保険をかけようと計画する場合、組織委員会は自分をIOCの保険プログラムに含める選択肢を IOC に提示するものとする。」とされています。

また、五輪が中止されたことによって、予定されていた収入が入ってこない(あるいは既に払い込まれている金額を返還しなければならない)という点から考えてみると、IOCと日本の組織委員会には、五輪の開催に当たり、放映権料とスポンサー等からの収入が入ります。IOCは、ソチ五輪とリオ五輪の2大会合わせて57億ドル、そのうち放映権料が73%、スポンサーが18%。日本の組織委員会は、放映権料が平昌・東京の2大会で660億円、スポンサーが4060億円とされています。(IOC、日本組織委員会HP)

ただしIOCは、そうした収入を、例えば、リオ五輪大会開催に15.3億ドル、ソチ五輪大会開催に8.3億ドル、各国際競技連盟に5.4億ドル(リオ)、1.9億ドル(ソチ)、各国の組織委員会に5.4億ドル(リオ)、1.9億ドル(ソチ)の支援を行っており、“IOC自身が、すべての収入を丸儲けしている”という構図ではない、ということは、正しく把握しておく必要があると思います。(※「五輪の過剰な商業化は適切ではない」という指摘は、また別の問題としてあるわけですが…。)

なお、支出の面から見ると、東京五輪の大会経費(総額1兆6440億円)の分担は、組織委員会7210億円、東京都7020億円、国2210億円で、チケット売り上げ900億円(うち、海外販売分約100億円)(組織委員会予算支出額資料(2020年12月発表))とされていますが、保険でカバーされる分以外の、組織委員会、東京都、国のこれまでの支出は補填されませんし、また、海外からの五輪の訪日客等を見越して行われた国内の多くの民間の設備投資(例:宿泊施設の新設やリノベーション)なども、基本的には回収できないことが多いと思います。

こうしたことは、日本へのIOCからの賠償請求等の問題とは全く別に、中止(・海外からの観客受け入れ無し)された場合のデメリットとは考えられている、ということは、公正性の観点(検討に当たり、両論をきちんと比較することが必要)から、ここで申し添えておきたいと思います。(※だから開催するべき、という趣旨では全くありません。)

◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。

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