205系はすごいぞ!富士山麓からインドネシアまで、世界を股にかける国鉄末期の通勤電車
国鉄からJRに民営化した時の事を覚えている方も、段々少なくなってきました。かくいう私も中学2年生だったから、それがどういうことか分かっていたかというと正直なところ疑問です。大人になって少し物事が分かるようになって、国がやっていたものを民営化するというのがどれだけ大変な事だったかがよく分かります。
そんな国鉄末期に誕生したのが205系です。中央線、総武線には長らく通勤を支えていた103系の後釜として201系が一足早く充当されました。ところが、山手線には201系でなく205系が充当されたのです。
このようにあの当時、201系だけしか充当されなかった線区、201系と205系両方走った線区、205系だけだった線区それぞれ分かれます。
中央線、大阪環状線などはほぼ201系のみ。一方、現在の神戸線と京都線は両方、山手線や仙石線などはほぼ205系のみ。また、両方走った線区でも、京浜東北線のように201系の活躍期間が圧倒的に短かったり、総武線のように205系が短かったりした線区もあります。
白河の関を唯一越えたのが仙石線の205系。そもそも仙石線は東北唯一の直流電化区間で、遅くまで72・73系が走っていたり、72系を103系そっくりにしたアコモ改造車が走っていたり、関東では見られなくなってからも103系が走っていたりと、マニア心をくすぐる線区でした。
今も4色に彩られた205系、そして205系を改造したマンガッタンライナー(石巻市は石ノ森章太郎氏の出身地で石ノ森章太郎記念館もあります)が走っています。仙台で仕事の時は仙台駅の中でも少し離れた仙石線ホームまで写真を撮りに行きます。ホームが短くて撮りにくいですが。
関西では最初に神戸線、京都線で走っていたものが阪和線に転じ、そして今は奈良線で活躍している姿が見られます。奈良線は205系が増えると103系の運用が減ってしまうので、私のような国電マニアからすると痛し痒しですね。
関東では元の205系から少し顔形を変えたものが、鶴見線、相模線で活躍中です。ちなみに相模線の205系500番台はお古でなく新品で相模線に来たものです。
2012年に富士急に譲渡されたのが、現在の富士急6000系です。JRから私鉄に譲渡されたのは秩父鉄道に譲渡された101系以来2例目です。秩父鉄道ではもう101系は走っていませんが。カラフルに塗装された車両もあり、ファンとして6000系は目が離せません。
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埼京線や京葉線、武蔵野線などで走っていた205系はJRの初の試みとしてインドネシアに譲渡されました。これは単にお古を提供するという事でなく、車両のメンテナンス、運行、社員教育などもJRがパッケージとして行う画期的なものでした。アフターケアを付随させた事で205系のインドネシアでの稼働率は現在も100%だそうです。
現地に駐在していた方に聞くとインドネシア、特にジャカルタは暑く、今までクーラーのなかった車両が多かったのが、205系の大量投入で現地の方は大喜びだそうです。思えば、私が子供の頃も日本ではクーラーが付いている電車は半分くらいしかなく、それ以外に乗ると夏場は地獄でした。赤道に近いインドネシアではそれが年中ですから、クーラー付きの車両は本当にありがたいのだと思います。
武蔵野線の205系が運用から退く前の駅のポスターに引退という文字がなかったのが強く印象に残っています。そして最後に行先方向幕がジャカルタになっていたのも。末長い活躍を期待します。
◆マグナム小林(まぐなむ・こばやし) 1971年千葉県千葉市に誕生。1994年8月、立川談志に入門、2000年8月上納金未納のため破門。以降、バイオリンエンターテイナーとして活動を開始。擬音ネタや東京節にあわせたなぞかけ、バイオリンとタップダンスをあわせた芸で多くの聴衆を魅了する。落語芸術協会と東京演芸協会に所属。千葉市立千葉高校時代には野球部のキャプテンを務めた。プロレスや競馬にも造詣が深い。