国際社会ができること、やるべきこと 2年前ミャンマーを訪問した豊田真由子の思い
6月16日、サッカーワールドカップアジア2次予選に、ミャンマー代表として来日していたゴールキーパーのピエ・リアン・アウン選手が、帰国を拒んでチームを離れ、日本に難民認定を申請する意向を示しました。
<日本の出入国在留管理庁は、現在、ミャンマー人を対象に難民申請の手続きを優先的に審査し、難民と認定されない場合でも、在留資格を付与して一定期間の滞在を認め、就労も可能とするなどの特別の措置を講じています。アウン選手に対しても適切な対応がなされることを期待します>
ミャンマーは、複雑な苦難の歴史を経て、国民から絶大な支持を受けているアウン・サン・スー・チー氏の下で、紆余曲折はありながらも、少しずつ民主化を進め、“アジア最後のフロンティア”と呼ばれ、近年、経済発展に向けて動いてきたかのように見えました。しかし、本年2月に起こった軍事クーデターとその後の苛烈な弾圧、そして国際社会が、それに対し実質上どうにもなし得ないという状況が続いています。
6月19日時点で、軍事クーデーターに反対して、少なくとも870名が殺害され、約5000名が拘束されているとされます。(※ミャンマー政治囚支援協会のリストによる。) 国家権力が、武器を持たぬ市民に向けて発砲し、あるいは、拷問を加えて殺害するというようなことが、許されてよいはずはありません。
私は2019年2月にミャンマーを訪問する機会をいただき、長年に渡りミャンマーの医療人材育成支援や研究交流を行い、草の根で多くの日本への留学生を支援してこられた日本の医師やご関係者の活動、そして、信心深く勤勉なミャンマーの方々に、深く感銘を受けました。
訪れたミャンマーは、まだまだ貧しさの中にあり、随所に、長く軍事政権下にあった影のようなものも感じましたが、それらを克服し発展していく可能性に、単純に期待していましたので、今回のクーデターと市民への弾圧には本当に胸が痛みますし、日本に暮らすミャンマーの人々が、日本政府のミャンマー国軍への働きかけに強く期待するものの、限界に直面する姿を見て、申し訳なく思います。
今も日本でがんばって勉学や仕事を続ける、ミャンマーからの留学生や技能実習生の方々とお話ししますが、皆さん、多くを語らない中でも、祖国の状況を憂い、遠く離れた家族を心配する気持ちが伝わってきます。(※)日本に在留するミャンマー人は、3万2049人(2019年12月末現在、外国人登録者数)
以前から、ミャンマーでのロヒンギャの人々への弾圧等は問題視されていました。しかし、“民主化が進展するアジア最後のフロンティア”という印象の下で、ミャンマーにおける深刻な民族問題や貧困問題の本質、国軍とスー・チー氏側との溝や、生じ得るリスクを、世界は正しく理解できていなかった、あるいは、過少に見誤っていたということになるのだと思います。「民主化は良いものであり、獲得されたら後退しない」という現代社会の幻想もありました。
命を懸けて運動に参加する多くの若者の姿を見て、「平和で民主的な国」に生きる人々は驚きますが、長い軍事政権下で、自由を奪われ、国際的にも孤立し、経済的にも壮絶な時代を経て、民政移管後の新たな10年を経験したミャンマーの人々にとって、決して元の暗い時代に後戻りをさせてはならない、自由や民主化はなんとしても守らなければならない、という強い決意に動かされた行動なのだろうと思います。(そして、程度や状況の違いはあれ、今も世界各地で同じような苦難が繰り広げられているのが、この世界の現実でもあります。)
■国際社会は一枚岩ではない
国際社会の対応も一枚岩ではいきません。
自国に同様の問題(ウイグル・香港、ウクライナ等)を抱える中国やロシアは、国際社会がミャンマーに介入することは「内政干渉」に当たるとして、制裁に異を唱えています。
欧米は、国軍関係者や関連企業に経済制裁を科すなど厳しい態度で臨んでいますが、日本は「新規ODAの停止」といった措置に留まっています。
(※)2019年度の日本の対ミャンマーODAの実績は、1893億円で、内訳は円借款1688億円、無償資金協力138億円、技術協力66億円(外務省)
日本は、歴史的にもミャンマーとの関係が非常に深く、2011年の民政移管後は、官民挙げてミャンマーへの投資や企業進出を行ってきました。ミャンマー日本商工会議所に加入している日系企業の数は約430社(2020年、JETRO)に上ります。この状況での事業再開・継続は、間接的にクーデターと国軍を支持することになり、容認されにくいでしょうが、一方で、撤退の決定も容易ではないという話を聞きます。本来は、日本企業による開発案件は、ミャンマーの発展とミャンマー国民に寄与するものになるはずでしたが、前提が大きく変わってしまったので、そこは厳しく考えなくてはいけないと思います。
■根深い多民族・多宗教・多文化国家の問題
対立の激化も懸念されます。
市民への苛烈な弾圧を受け、ミャンマーの民主化勢力は、2021年4月16日にNDL(スー・チー氏の政党、国民民主連盟)の議員や少数民族グループ代表らによる「国民統一政府」を樹立し、国軍に対抗する武装勢力として、5月5日「国民防衛軍」の結成を発表しました。
地方における国軍と、少数民族武装勢力や市民抵抗組織との衝突は激化しており、その影響で、国連人道問題調整事務所(OCHA)によれば、ミャンマー南東部だけで約15万の人々が国内避難民となっています。国境地帯の無法化や、国内に武力衝突と絶望が蔓延することが危惧されます。
ミャンマーの歴史家タン・ミン・ウー(Thant Myint-U)氏は、すでに2019年11月の著書で、「ミャンマーの政治は、『民族問題と不平等』という2つの火種を抱えている。未熟な民主的組織、自由主義経済への盲目的な信奉、違法な産業界、武器の溢れる山岳地帯(※主に少数民族が居住する地域)が混ざり合い、アジアの真ん中で破綻国家(failed state)となる危険性がある」と指摘していました。そしてそれは、周辺諸国のみならず、欧米や日本も含めた国際社会の危機につながるおそれがあります。(クーデター後には、駐ミャンマー米国大使(2012-2016年)を務めたDerek J. Mitchell氏など、多くの方が同様の指摘をしています。)
元国連事務総長を祖父に持ち、国際経験豊富で大統領顧問も務めたタン氏が、祖国に鳴らす深刻な警鐘を、真に理解し、その事態に備えられた人は、日本にも世界にも、残念ながらほとんどいなかったのだろうと思います。多民族・多宗教・多文化国家ミャンマーの問題の根深さを物語ります。
■わたしたちにできることは?
アフガニスタンやシリアの混沌とした状況を見れば、ある国での内戦や民衆の弾圧に対し、他国はどう介入すべきなのか、ということについては、こうすれば解決する、という明快な解を見つけることは容易ではないことが分かります。しかし、諦めてはいけません。日本を含む国際社会は、諦めずに考え続け、できることをやり続けることが大切だと思います。対話・説得、国連決議、ODA、経済制裁(「軍事的制裁」の是非は難しいところです…)、「ただひとつの万能策」というものはありませんが、できること・やるべきことは、いくつもあるのだと思います。
そして、私たち一人ひとりができることはなにか? ミャンマーの人々(に限らずではありますが)が苛烈な状況にあるということを知ること・忘れないこと、国際社会の一員としてその改善を望み、寄り添い続けること、そして、改めて、私たちが今当たり前に享受している「自由と民主主義」の貴重さと重要性を認識し、それを守り抜いていくための不断の努力を意識する、ということが大切なのではないかと思います。
◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。