産業遺産の過去・現在・未来を巡る旅 マヤカン保存に人生をかけた夫婦が描く次なるチャレンジ

 その神秘的な佇まいからマニアを中心に「廃墟の女王」として知られる「旧摩耶観光ホテル」が国の登録有形文化財に登録するよう答申された、というニュースが駆け巡ったのは今年3月半ばのこと。6月24日付官報にて告示がされ、登録有形文化財に登録されました。

 「旧摩耶観光ホテル」はマヤカンとも呼ばれ、1929(昭和4)年、摩耶山の中腹に当時流行していたアールデコ調のデザインを採用し開業。福利厚生施設、ホテル、合宿所と営業形態を変えたのち、1993年を最後に閉鎖されました。

 全国に1万3000件以上ある登録有形文化財のうち、放置され、朽ちていた建物が文化財に登録されることは史上初。マヤカンは廃墟の可能性を広げる前例を作ったと言えます。

 この快挙にはマヤカンの保存・活用に取り組んだ神戸のNPO法人「J-heritage」の取り組みが大きく貢献しました。J-heritageを運営するのは2009年の設立以来、廃墟の文化的価値を発信し続けている前畑洋平さん、温子さんご夫婦。何が彼らを突き動かしているのでしょうか。

■縁にひきよせられて

 洋平さんが廃墟に興味を持ったのは、10歳の時に観た映画「ぼくらの七日間戦争」でした。自分たちだけの秘密基地に憧れ、小学校の通学途中にあった巨大な廃工場に出入りするように。放課後になると友達とそこで遊んでいたといいます。中学生になったころには世はオカルトブーム。「心霊スポット」として取り上げられた場所を訪れたこともありました。

 一方の温子さんは、大人になってからたまたま手にしたトイカメラをきっかけに写真の世界へ。ちょっと違ったものを撮りたいな、と書店で手にとったのが廃墟の写真集でした。その後、写真に詳しい知人から一眼レフを勧められ、買ったばかりのカメラを持って京都へ撮影旅行に。その時に知人が偶然にも廃墟好きだと分かり、ともに廃墟撮影に出かけるようになりました。

 それぞれに廃墟と出合い、次第にその世界のマニアたちとの繋がりを深めていった2人はのちに廃墟好きが集まるコミュニティで出会うことに。洋平さんは見学を重ねるうちに廃墟に魅せられ「いつか発信する側になりたい」と考えるようになります。

■心霊スポットから産業遺産へ

 2000年代に入ると、ノストラダムスの大予言が外れたことも影響してか、オカルトブームは衰退。そのころから、流れが変わってきたと洋平さんは話します。

 「メディアの間では、視聴率が取れるのは心霊スポット、心霊番組でした。それがいつしか、廃墟っていうキーワードのボリュームが増えてきた」

 廃墟特集を組むサブカル系雑誌なども出てくる中で愛好家は増え、1つのジャンルを築きつつありました。ところが、2007年ごろから廃墟を取り巻く状況に異変が起こります。

 「北京オリンピックのタイミングで、解体業者が廃墟サイトを見て営業をかけ始めたんです。本来は解体にかなりの費用がかかりますが、その時は鉄の値段が高騰してたので、解体で出た鉄筋が今なら売れるから壊しましょうって」

 その時に「明治の五大監獄」として有名な長崎刑務所、戦争遺跡とも言われる川南造船所など、今となっては残されなかったことが悔やまれるほどの貴重な廃墟が次々に取り壊されたといいます。

 関西でも「神子畑選鉱場」が解体されたショックの中で、洋平さんと温子さんが仲間を交えて初めて一緒に見学したのが兵庫県養父市にある「明延鉱山」でした。そこでガイドの男性からこう諭されます。

 「君らみたいな若い子がこういう場所に興味持ってくれるの嬉しいけど、もし勝手に出入りしてる事があるなら、それによって壊されることもあるんや」

 この言葉を聞いたとき、2人はショックとジレンマを感じました。そこで、ひとつの決心をすることになったのです。

 「廃墟を見に行きたいと思っていても行けない人はたくさんいます。壊される前に写真を撮って残すことには意味があるって、言い訳かもしれないけど思っていました。でも、ガイドの言葉で、失うことを加速させている側面もこともあるという事実を突きつけられて衝撃を受けて…。

 一方では日本の産業史を物語る遺跡として『産業遺産』と呼んで、人に見てほしいという人もいました。うまく結びつけて、見学できる仕組みを僕らが作ればいいんじゃないか?そう考えてNPOを立ち上げようと決めました」

■過去への旅、未来に残す価値

 温子さんはNPOの設立には当初乗り気ではなかったそうです。産業遺産では、ガイドの話が長く、好きな写真もなかなか撮れない。「アカデミックの押し売り的な見学会を何度か経験したことを思い出し、自分がそういう方向に進んでいくような活動をするのは納得できなかった」と話します。

 しかし、転機はまたも廃墟で訪れました。

 「2012年ごろかな、北海道の赤平市炭鉱遺産をガイドしてくださった三上さんが人生を変える転機になりました。歴史とか沿革とか、後で調べたら分かることを延々と話すんじゃなく、昔あった事故であったり、普通なら隠したいようなこと、光と闇なら闇の部分。三上さん自身がそこで働いていた時の体験談を話してくれて。その時に、産業遺産のおもしろさに気付きました」と温子さん。

 以来、夫婦2人と多くの協力者と共に歩んできた「J-heritage」は12年目を迎えました。2014年から携わっているマヤカンの保存プロジェクトは、登録有形文化財登録という成果をあげ、NPO法人としての活動の集大成のようにも思えますが、ご本人たちはどう感じているのでしょうか。

 最後に、廃墟・産業遺産の文化的価値とは何か?を伺いました。

 「見せる方も、見に行く方も、その場所の魅力や価値を理解しようとすること。そこにリスペクトがあること。それをうまくコーディネートするのが僕らの役目だと思っています。

 僕自身、はじめは廃墟の景観に興味を持ちましたが、数を重ねるうちに新たな価値を発見してきたし、所有者側の意識が変革するのも見てきました。だから、連れて行ったら勝ちだと思っています。最初は景観そのものへの感動でも、だんだん眼差しが育まれていくんです。

 その景観を見つめるうちに『昔はどうだったんだろう?』と思考を巡らせて、過去と今と未来を全部繋いでくれる。想像力を育んでくれる場所、それが廃墟の魅力だと思っています」

 今こうして取材をしている「ほととぎす旅館」(大阪府阪南市)も、そんな場所。眼前に広がる景観を大切そうに眺めながら洋平さんの言葉を受け、温子さんがこう続けます。

 「まだ途中、だと感じています。マヤカンも登録されてゴールじゃなく、地域の宝として残されていくには、私達はもっといろいろなことをやっていかないといけない。すごくチャレンジングな、いい位置に今いると思います」

 中立の立場で価値を発掘し、今まで閉ざされていた場所の一般公開も実現してきた「J-heritage」。次の展開として、廃墟発の新たな文化を生み出したいと考えているそうです。

 「誰と組めばおもしろい化学反応が起きるか、一緒にワクワクできる人と出会っていきたい」と話すお2人の笑顔は、荒廃した空間の中でとてもいきいきとしていました。

   ◇ ◇

 今回お話を伺った場所は、20数年間に渡って“営業休止中”のほととぎす旅館。取材の日は夏日となり、眩しいほどの新緑の中に佇む朽ちた建物からは、在りし日の山中渓温泉の姿が浮かぶようでした。

 ほととぎす旅館は、価値の発掘が行なわれはじめたばかり。今は心霊スポットとして不法侵入が後を絶たないと、管理者は困惑の表情を見せます。この場所から文化が生まれ、本来持っている価値が発信される日が楽しみです。

 ※廃墟であっても、土地や建物に無断で立ち入ることは建造物侵入罪等の違法行為になる場合があります。興味がある方は「J-heritage」などの専門家や各施設の管理者が実施する見学ツアーをご利用になるか、前畑ご夫妻の著書でお楽しみください。

(まいどなニュース特約・脈 脈子)

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