明治から令和を生き抜いたJR四国の文化財、取り壊し前の探検ツアーに同行してみた
香川県多度津町にあるJR多度津工場に7棟もの「登録有形文化財」があるのをご存じだろうか。古い建物だと明治21年というから130年以上前のこと。いまも現役で使われているが、老朽化が著しく、大規模な設備更新に伴い、今年10月から順次取り壊しが決まっている。その前にひと目見ようと7月中旬に開催された2日間のツアーには県内外から60人の鉄道ファンが参加。関心の高さをうかがわせた。
年季の入った建物をのぞくと、かすかに油の臭いが鼻をつき、アンパンマン列車が宙に浮いていた。敷地内に置かれたSLはいまにも動き出しそうだ。
ここ香川県多度津町は”四国の鉄道発祥の地”として知られる。1889年(明治22年)5月23日、前身の讃岐鉄道が多度津を起点に丸亀~琴平間(15.5キロ)を運行したのが始まりだという。
同じ年に、この多度津工場も6人の職員でスタートした。現在は220人のスタッフがおり、8万5878平方メートルの敷地内には2012年に国の登録有形文化財に指定された建物が7棟もある。
しかも、驚くことに、これらの建物はJR四国唯一の車両整備、修繕工場としての役割を担い、いまなお現役であることだ。明治から大正、昭和、平成、令和と踏ん張り、ここから「マリンライナー」や「アンパンマン列車」が飛び出していった。
ただし、さすがに建物や大型機械の老朽化も進んでおり、解体して建て直されるのは決定事項。早ければ今年10月から順次、取り壊していくことになるという。
今回のツアーもこれらを慮ってのこと。JR四国によると、多度津工場ではこれまで10月の「鉄道の日」に合わせ、地域との交流を深めるイベントを実施したり、団体での工場見学を受け付けていたが、コロナ禍により相次いで中止に。「取り壊す前に、鉄道ファンや歴史ファンの方に建物を見ていただこうと、今回のツアーを組みました」と言う。
いざ、募集すると、東京から九州までの方の応募があり、あっという間に定員に達したそう。愛知県から参加した30代男性は「自分は乗り鉄で、これから”四国まんなか千年ものがたり”に乗りにいくのですが、多度津は鉄道ファンには注目の場所なんです。以前から工場内を見てみたいと思っていました。有形文化財がなくなるのは寂しいですが、この目で確かめることができ、専門家から建物の歴史や存在意義を聞けたのも良かった」と納得顔だった。
最も古い文化財は「職場15号」と呼ばれ、何と1888年(明治21年)に建てられた。実際に残っているのは梁の部分だけ。残念ながら建物そのものからは明治の趣は伝わってこなかったが、職員によると現在は倉庫として使用されているそうだ。
1935年(昭和10年)に建てられた洋風1階建ての「諸舎1号」は現在は展示室として使用。ファン必見の鉄道グッズや模型が置かれ、ここにくれば四国の鉄道史がよく分かる。
激動の時代を感じさせてくれたのは1931年(昭和6年)から増築を重ねて行った「職場17号」で、こちらは車体の整備が中心とあって4階建てに匹敵する高さの大きな建物。昭和16年以降に建てられた部分は戦時体制で鉄が使えなくなったため、柱や天井の資材には安価なベイマツを代用しており、虚しい時代背景とその巧みな技法に妙に納得させられた。
また、自然光を採り入れるため、大きな窓を取ったハイサイドライトになっていたり、天井がバタフライ構造になっているなどの説明を専門家から受け、参加者は熱心に聞き入っていた。
さらに、このツアーでは車両を移動させる遷車台に参加者全員が特別に乗せてもらえる特典もあり、一瞬だけ童心に帰った気分。これらを含め、撮影に関してはほぼ全面OKだったが、1カ所だけ何の変哲もない車両がNGだった。おそらく、これは新たな企画列車として生まれ変わるのだろう。その日を楽しみに待ちたい。
最後は愛媛県の旧西条海軍航空隊の格納庫を1948年(昭和23年)に移築した「会食所1号」に再び集合。現在は社員食堂として利用されているが、格納庫だけあって外観はかまぼこ型をしており、戦闘機が収められていた当時を空想してしまった。
今回のツアーには産業遺産学会の案内人が同行。日本の近代化を支えた鉄道の舞台裏に触れることができ、思い出深い1日となった。解体されるのは残念だが、立て直されたあとも鉄道にかける魂や精神は、きっと受け継がれていくことだろう。
◇ツアーのガイド役は市原猛志さん(熊本学園大講師)、川島智生さん(京都華頂大教授)でした。
(まいどなニュース特約・山本 智行)