コロナ禍での開催批判から一転、五輪熱狂のメディアに失望 夜回り先生が「報道の正義」を問う
新型コロナウイルスの新規感染者数が爆発的に急増し、緊急事態宣言の中で行われた東京五輪が8日、閉幕した。「夜回り先生」こと教育家の水谷修氏は、五輪開催に批判的だった日本のメディアが、開幕後は一転して日本選手のメダルラッシュ報道一色となり、コロナ禍での報じるべきニュースが縮小されたことを危惧し、「日本の報道は、滅んだのか」と問題提起した。
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近代国家は「三権分立」を基本として始まったと言われています。つまり、それまで君主が独占していた立法権、司法権、行政権をそれぞれ分離し、国民の代表が国家を運営していくことによって権力を分散し、互いがそれぞれを監視・牽制していく中で、国家を国民のものとして存続させていくという在り方が、近代市民国家を作り出しました。そして、これが今に続いています。
しかし、現代では第四の権力が生まれ、それが国民の自由を守り、国家が独走することを押さえ込んでいると言われています。まさに、その第四の権力こそが「報道」なのです。
この第四の権力である「報道」は、今や恐ろしい存在です。一国の政権を揺るがすどころか、倒すこともできます。経済を即座に動かすことも、国と国との関係を最悪な状況まで持っていくことも、一人の人間を社会的に葬ることすらできます。
だからこそ、各報道機関は、丁寧に取材し、分析し、そして、責任を持てる真実をきちんと報道することに務めています。
しかし、何とか終了した「東京オリンピック」についての報道は、どうだったのでしょう。開催される直前までは、開催によって、海外からの訪日者が増えることによる感染拡大の危険性や、人流が増加する危険性から、ほとんどの報道機関は、その開催に反対していました。多くの有識者たちも、新聞や雑誌、テレビの中で、開催中止を叫んでいました。
それが、どういうことか、オリンピックが始まると、一斉にその報道に切り替わってしまいました。メダルが取れた、勝った、負けたと、日々紙面や画面は、埋め尽くされました。テレビや新聞で、開催反対を熱く語っていた有識者の何人かは、オリンピックの感動を熱く語り始めました。私には、理解できません。
日々の努力の成果をオリンピックの場で、必死に競技した選手のみなさんには申し訳ないのですが、私は一切、今回のオリンピックをテレビや新聞で見ませんでした。また、オリンピックに関して、一言も一行も発信していません。それは、今回のオリンピック開催が、新型コロナウィルスの感染拡大の予防、国民の命を守るためには、最悪の行為だと確信しているからです。
第四の権力である「報道」に常に求められているのは、「正義」です。あるときは、批判し反対、あるときは感動し賛成、このようにぶれる報道や有識者をだれが信じることができるのでしょう。
すべての日本の報道機関に聞きたい。このような状況下でのオリンピックの開催は、正しかったのですか。それとも間違いだったのですか。それすら答えることができない報道は、第四の権力としての役割を自ら捨てたのでしょう。