日本航空が開発したもう一つのリニアモーターカーが繋ぐ夢 最高時速100キロで無人運転「リニモ」に乗ってみた
1970年代、夢の超特急として開発されていたリニアモーターカー。いま話題の超電導リニアを開発していた国鉄と並行して、日本航空も開発を進めていました。その成果がいま、愛知県で営業運転されています。
■国鉄と日本航空、それぞれリニアの開発を目指していた
磁気で浮上して走るリニアモーターカーは、1970年代から国鉄と日本航空がそれぞれ別々に開発を続けていました。国鉄のものは、言うまでもなくいまJR東海が建設中の超電導リニア新幹線です。一方、日本航空が開発していたリニアモーターカーはHSSTと呼ばれるもので、成田空港など都心から離れた空港へのアクセス用の交通機関として、当初は時速300キロ程度での営業運転を目指していました。
HSSTは、超電導磁石を使わない通常の電磁石で車体を浮かせて、リニアモーターで駆動する方式です。神奈川県内の実験線で試験走行を重ねて、1978年には時速300キロを超えることに成功しています。その後、1985年につくば市で開催された国際科学技術博覧会の会場で、短い路線を時速30キロででしたが乗客を乗せて走っていました。実は筆者もこれに乗りました。わずか数ミリしか浮上しないので「浮いた」というのは感じられませんでしたが、音もなくすーっと移動する感覚には未来を感じました。
なお、このように磁気で浮上しないで、車体を車輪で支えながら推進力だけをリニアモーターにした「鉄輪式リニアモーターカー」は、大阪メトロの長堀鶴見緑地線をはじめ現在日本各地で営業運転をしています。長堀鶴見緑地線は1990年の国際花と緑の博覧会に合わせて開通したのですが、リニアモーターということで当時はなんとなく未来っぽい気分になったのを憶えています。
HSSTはそれから各地の博覧会などで走行展示されました。なかでも1989年の横浜博覧会では横浜博線として、わずか500メートルほどの臨時の路線でしたが営業運転しています。そして2005年日本国際博覧会(愛・地球博)に合わせて開業した愛知高速交通東部丘陵線、愛称リニモで、HSSTは通常営業の路線として走り始めたのです。
開業から16年、2021年夏の暑い日に、この東部丘陵線に実際に乗ってみました。
■ごく普通の新交通システム、しかし車輪はない
愛・地球博記念公園駅は、地球市民交流センターの二階から渡り廊下で繋がっていて、見た感じ各地で見かける新交通システムの駅とそう変わらない雰囲気です。PiTaPaも使えるごく普通の改札を通ってホームに上がると、これもまた大阪のニュートラムや神戸のポートライナーと変わらない感じの駅です。ただ、線路はちょっと様子が違っていて、やや幅の広いモノレールといった趣きです。ポイントの形とかも含めて、大阪万博の万博記念公園駅から見たモノレールの景色によく似ています。
程なく「100型」と呼ばれる車両が、音もなくすーっと入ってきました。四角くてすっきりとした車両です。車内の様子もまったく普通の新交通システムと同じです。ドアが閉まると一呼吸置いて、「たんっ」という小さな音がして、同時に走り出しました。車輪がないので当然ながら「がたんごとん」という音はしません。ただ、これは線路側でなく車両側に速度を制御するインバーターがあるので、きぃーん、ひゅうーんというVVVFの音は聞こえます。
陶磁資料館南駅に向けて、けっこう急な勾配をするすると登っていきます。駅に着くと停車の寸前に「ばこっ」という小さな音がします。加速も減速も、速度の制御は電磁式とのことですが、駅に停車している間は何か機械式の装置で車両を固定しているのかもしれません。
終点の八草駅で降りて、一旦改札を出てまた折り返します。平日の午後、学生さんがけっこう乗ってます。緑豊かな丘陵地帯から街中へ、アップダウンの大きな線路を、無人運行される路線としては異例の最高時速100キロで快適に走ります。
杁ヶ池公園駅を過ぎると半径75メートルの急カーブがありますが、車輪がないので当然レールとの間で軋むあの音はしません。程なく地下に潜って、もう一方の終点、藤が丘駅に到着します。約17分の未来の旅でした。
つくば博、花博、愛・地球博と、リニアというと博覧会のイメージがあります。2025年の大阪万博ではまた何か新しいのが登場するのか、ちょっと楽しみにしています。
(まいどなニュース特約・小嶋 あきら)