学歴も職歴も無く、うつ状態で「自殺も頭をよぎった」… 人気漫画家が明かした意外な過去 投稿に込めた思い 

未確認生物絡みの奇妙な事件を捜査するという奇想天外なストーリーと迫力ある画力で話題の漫画「STRANGE MOON」(竹書房)。今年1月の連載開始からじわじわと人気を集め、6月30日には単行本も発売された。作者のかざあなさん(44歳)はイラストレーターとしても高い評価を得ており、人気カードゲームや人気アーティストのCDジャケットを手がけるなど華々しく活躍している。

先日、そんなかざあなさんのTwitterアカウントを眺めていると

「20代後半の時は鬱で働けなかったのもあって職歴無しのほぼ中卒だから将来はボロアパートでワンカップ飲みながらテレビ見てバイト行くだけの生活で40-60歳を過ごすんだろうなーと思いながら毎日金にもならない絵を描いてネットにアップしてたら2000枚超えたら絵で食えるようになった」

という投稿が目に入った。

今の活躍からはにわかに想像しがたいが、ほんの十数年前までのかざあなさんは将来を悲観し自暴自棄な生活を送る日々だったというのだ。

この投稿にファンからは

「私は今、家族とも死別して30半ば。バイトしてる独身という、独居老人の孤独死コースまっしぐらです。

いろいろ身につまされますな。」

「もう何でもいいから、あなたのような人が増えて欲しい。

少しでもいい、希望が欲しい。」

「気の持ちようなのか、好きなことに関しては並の人より活動的っていうその元気は羨ましいな。」

「勇気が出ます。

自分も20代鬱で働けず、40歳で介護福祉士デビュー、44歳で作業療法士デビューでした。

困難もあるけど、何歳からでもチャレンジできる。」

「いままさに20代後半で鬱的な気分の落ち込みで働けずにいて不安しかなかったので、すこし未来に希望がもてました。ありがとうございます」

など数々の熱い感動のコメントが寄せられていたが、果たしてかざあなさんはどのような経緯で現在の成功を手にしたのだろうか。お話をうかがってみた。

中将タカノリ(以下「中将」):北海道のご出身ということですが、上京されるまでの経緯をお聞かせください。

かざあな:母子家庭だったのですが、17歳の時に母が急死してしまいました。その後、札幌でアルバイトしながらイラストの専門学校に通っていたのですが、父方に引き取られていた弟が虐待されていることを知り、中退して一緒に東京に出てきたんです。19歳の時でした。

中将:20代の頃はどのような生活を送っておられたのでしょうか?

かざあな:東京に出てきてから飲食チェーンでアルバイト店長をしていたのですが、待遇の悪さと労働環境の過酷さで精神状態が不安定になってしまい、27歳くらいの時に退職しました。しかも同時期に事情があって、育ててもらってもいない父の借金を肩代わりすることになり、まともに仕事できる状態じゃないにも関わらず月7万円の返済をしなければならず…。弟と二人暮らしだったのでギリギリどうにかなりましたが、生活保護一歩手前のような生活でした。

そんな頃、ふと思い立ってソフマップで1万円の中古パソコンを買ってイラスト活動を再開しました。そしてファンだったあきまん(安田朗)さんの「お絵かき掲示板」にイラストを投稿するようになるんですが、たまにあきまんさんからレスがもらえるんですね。それが励みになり「いっぱいイラストを書き続ければ何か起こるんじゃないか」と奮起しました。

カラ-を1日最低1枚、多ければ10枚は描いて発表するようになり、合計1500枚を超えたあたりから少しずつ仕事の依頼が舞い込んできました。最初は安い仕事ばかりだったけど、2000枚を超える頃にはイラストで食えるようになっていました。それが31、2歳の頃でした。

中将:本当にご苦労されたんですね…。イラスト業が好調になって精神状態も回復してこられたのでしょうか?

かざあな:そうですね。たぶん今も多少ストレスに弱い部分はあるのかもしれませんが、薬を飲んだり病院に行くほどではないですね。

中将:将来に希望を持てず、経済的にも厳しかった頃をふり返ってどう思われますか?

かざあな:学歴も職歴も資格もないまま30歳近くになり、正直、当時は自殺も頭によぎっていました。

イラストもまさかそれで食えるようになるなんて思わずに再開したんです。「せめて一度くらいは憧れだったCDジャケットやトレカのイラストを担当してみたいな」と。でも結果的にその行動が僕をどん底の境遇から救い出してくれました。本当に運がよかったなと思います。

中将:ここぞという時に努力できたというのが大きかったのですね。

かざあな:多少は努力しましたが、人の助けも大きかったと思います。

イラストで食えるか食えないかの頃、小説家の開田あやさんが「幻獣神話展」という展示会に出展しないかと誘ってくださいました。そうそうたる方たちが出展する展示会で、経験が浅かった僕は初めお断りしたんですが、「わからないことがあればサポートしますから」と根気強く声をかけ続けていただいたんですね。お言葉に甘えて何回か続けて出展させていただき、それが僕のイラストレーターとしての評価につながりました。展示会主催者で、開田あやさんのご主人であり世界を代表する怪獣絵師の開田裕治先生にも大変お世話になりました。

また、漫画家としてのデビュー作「ナノハザード」は新人にもかかわらずかなりスムーズに連載が決まったのですが、それは全て原作を担当していただいた栗原正尚先生の推薦があってこそでした。

中将:みなさん、努力するかざあなさんの姿に魅力を感じられたのかもしれませんね。件のご投稿ですが、昔のつらい思い出をあえてTwitterに書かれようと思ったきっかけをお聞かせください。

かざあな:あれを投稿したのはちょうど新連載の「Strange Moon」が軌道に乗った頃だったんです。いろんなやり取りを経てホッとして、昔の「やって良かったな」という気持ちを思い出したんです。

中将:反響も大きなものがありました。

かざあな:コメントだけでなくDMも多数いただき驚きました。もっと不幸な生い立ちの人はたくさんいるので、僕なんかのエピソードに反応していただいて恐縮しました。

経験上、動いてさえいれば30歳になっても40歳になってもチャンスは巡って来るものだと思います。人間いつかは死んじゃうんで、「ダメなら思い出作りだ」くらいの気持ちでなにかにチャレンジしてくれる人が増えればいいですね。

<かざあなさんプロフィール>

イラストレーター、マンガ家。

これまでカードゲーム「WIXOSS-ウィクロス-」(タカラトミー)、FDzの1stアルバム「ミュージックサワー」ジャケットなどのイラストを担当。

漫画家としては2018年「ナノハザード」でデビュー。現在、WEBコミックガンマで「STRANGE MOON」を連載中。

◇ ◇

人は誰しも耐えきれないような逆境に見舞われることがある。読者のみなさんの中にも、もしかすると不幸の底にいる人がいるかもしれない。しかしかざあなさんが言うように、そこからはい出そうとする者には必ずなんらかのチャンスや助けの手がめぐってくるもの。希望を忘れず、今より少しでもましな明日に向かって歩もうという気持ちを大切にしたいものだ。

(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)

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