まもなく引退、不遇の通勤電車「201系」 斬新デザイン、省エネを誇るも高コスト…国鉄末期の財政状況に翻弄
1971年千葉県に生まれた鉄道ファンの私。小学5年生の時に衝撃が走ります。それまで地元の総武線では、全面カナリアイエローの101系と103系しか見られませんでした。そこに、前面の上半分が黒でしかも窓が非対称という、斬新なデザインの201系が導入されたのです。とにかく、かっこいいのなんの。
最初は10本に1本程度しか来ないので、見られた時は小躍りせんばかりでした。何せまだ非冷房の101系が走ってた時代です。201系が未来の乗り物のように思えたのです。私が物心ついてから初めての総武線の新型車導入でした。
斬新なデザインは、これからは201系の時代が来る事を予感させてくれました。そう思ったのは私だけでなく、鉄道模型会社のKATOでは、4色の201系の他に常磐線に導入されるであろうと思われたエメラルドグリーンまで発売したくらいですから。結局、常磐線にはエメラルドグリーンの201系が走ることはなく、千代田線乗り入れ用の203系が作られました。
201系が最初に導入されたのは中央快速線、そして総武線までは良かったのです。ところが、山手線、京浜東北線に201系が導入される事はありません。のちにスカイブルーの201系は後に京葉線で見る事が出来ましたが、ついぞやウグイス色の201系を関東で見ることはなかったのです。
その理由を解説する前に、通勤電車の系譜を見ていきましょう。
1957年までは旧型国電と呼ばれる吊り掛け駆動方式の72系が主流でした。余談ですが、私は房総地区を走っていたぶどう色の72系を幼い頃に見た事があります。
その前後から私鉄各社との新性能通勤電車の開発競争が進み、動力源にバネを使ったカルダン駆動方式による高加速・高減速性能のモハ90系、後の101系が1957年に開発。58年から量産され、中央線を皮切りに導入されていきました。
ただ、101系は電動車が多く、製造コストがかかる。そして、駅間距離の短い線区に向かない事などから、それらの問題を解決すべく103系が1963年に開発、1964年から量産されました。山手線を皮切りに導入され、通勤電車の大ロングセラーとなりました。
その103系の後継として201系が開発されるのですが、この理由一つの時代背景がありました。オイルショックです。省エネという言葉が叫ばれるようになったのです。
そこで直流電流を高速度でスイッチングしていくサイリスタチョッパ制御方式を採用し、電力回生ブレーキを導入して省電力を図ったのが201系です。1979年に試作され、81年に中央快速線に導入、そして82年総武線に導入されました。
しかし、折は国鉄末期。国鉄の財政が逼迫する状況で、サイリスタチョッパ制御器を使う201系は高コストが問題になりました。
そのため、山手線の103系置き換え用には界磁添加励磁制御方式でオールステンレス車体で低コスト、メンテナンス軽減を図った205系が1985年導入され、以降201系は製造されなくなりました。
そのため、201系の前の103系が3000両以上製造されたのに対し、201系は1000両余りに留まりました。まあ、1000両だって凄いのですが。
201系が導入されなかった山手線、京浜東北線、阪和線などには、103系の後継として205系が導入されました。もっとも、京浜東北線を205系が走った期間は僅かですが。
201系は関西でも東海道線、大阪環状線、関西本線、現在の大和路線では導入されました。しかし、阪和線では導入されていません。ちなみに関西ではカナリアイエローの201系は走りませんでした。
現在ウグイス色の201系はおおさか東線や大和路線などで活躍していますが、2023年には引退します。103系が未だ活躍する中、早過ぎる引退とも言えます。天下を取るかに見えたところを時代に翻弄され、時代を掴み損ねた、そんな感のある201系。
でも、私には今でも鮮烈なデビューは忘れられないですし、通勤電車の時代を変えたのは201系だと思ってます。そんな201系を引退までにもう一度生で見たいです。
◆マグナム小林(まぐなむ・こばやし) 1971年千葉県千葉市に誕生。1994年8月、立川談志に入門、2000年8月上納金未納のため破門。以降、バイオリンエンターテイナーとして活動を開始。擬音ネタや東京節にあわせたなぞかけ、バイオリンとタップダンスをあわせた芸で多くの聴衆を魅了する。落語芸術協会と東京演芸協会に所属。千葉市立千葉高校時代には野球部のキャプテンを務めた。プロレスや競馬にも造詣が深い。