「着物を持ち主に返したい」 76年前、沖縄戦の混乱の中で預かった着物の持ち主を探す動画が話題に

1945年の沖縄戦の際、米と引き換えに預かった着物の持ち主を探す動画がSNS上で大きな注目を集めている。

「持ち主を探すの事はとても難しい事とわかっていますが、祖母の為にもやれるだけの事はしたいと思って動画にしました」

とこの動画を投稿したのは人気YouTubeチャンネル「南の島のおばーと孫」の孫さん(@ota_craft)。

動画中で鮮やかな紫色の着物を手に取りながら当時の記憶を語るのは87歳になる孫さんのお祖母さん。この着物は、日米両軍の激戦地となった読谷村から沖縄本島最北端の国頭村に逃れてきた人が、米三升と引き換えて欲しいと差し出したもの。対応したお祖母さんの母(孫さんにとって曾祖母にあたる)は後から着物を返そうとしたが断られ、その後一度も袖を通さずに保管してきたのだという。「もし読谷の方がまだ元気でいるんだったらこの着物とお会いして欲しい」と語るお祖母さんの動画に対し、SNSユーザー達からは

「優しいおばあちゃんですね!

物々交換の相手、うちの祖母の母かも?と思ったけど那覇出身だから違うかなぁ。

10・10空襲で那覇の家が焼け、どんどん北上して一瞬読谷の辺りにもいたみたいです。

戦争終わる直前まで、国頭村の山に逃げてたといってました!

良い着物と米を物々交換したと言ってました。」

「75年も保存してこられたのが凄いです。

母方の祖母の実家も農家で、戦争時に着物などを持って食べ物と交換して欲しいと村を回っている町から来た人たちがいて、出来る限り分けていたそうですが…

受け取った着物等はその後事業が失敗した時に全て質草にしてしまったそうです…

何やってんだご先祖様」

「当時食料交換を頼んだような高価な着物は絹製で保管方法の徹底を怠るとカビや虫食いで駄目になってしまいます。

出来る限りはと食糧と交換されたご先祖様は素晴らしいですし、ご先祖様が困った時に保管しきれなくなる前に必要な方の元に手放したのもその時できる最善の方法だったと思います」

「お袖が長い錦砂の若い方の晴着のようですね。

特別な時に着たならば写真が残っているかも。見つかりますように。」

「なんだか心に響いて涙がいっぱい出てきました。

大切にされてきたのがよく伝わります。見つかりますように。

たくさんの方が見て戦争は絶対にしてはいけないことが伝わってほしいですね。

戦争の恐ろしさは目を背けたくなるけど少しずつ知ろうと努めてます。無知は危険なので。」

など数々のコメントが寄せられている。

孫さんにお話をうかがってみた。

中将タカノリ(以下「中将」):今回、着物の持ち主を探そうと思われたきっかけをお聞かせください。

孫:祖母が身の回りの整理をしている時に、大事に仕舞っていたこの着物が出てきました。持ち主を探したいという祖母の想いを聞き、何かできないかと思いこの動画を公開しました。

中将:お祖母さんの思いについてどのようにお感じになられますか?

孫:昔は相当過酷な暮らしだったと思いますし、今だって自分の事だけで精一杯の人が多い世の中です。そんな中、他人を思いやる気持ちを忘れない祖母が孫として誇らしいです。

中将:その後、持ち主につながりそうな情報はよせられたでしょうか?

孫:情報が寄せられる事はありますが、まだ決定的な情報は頂いておりません。

中将:ご投稿に対し、数々の思いのこもったコメントが寄せられました。これまでのSNSの反響へのご感想をお聞かせください。

孫:これだけ沢山の方が自分の事の様に協力してくれた事に、すごく嬉しく思ってます。

◇ ◇

75年以上前のことなので困難は多いと思うが、今回の発信がより拡散され着物の元の持ち主に届くことを願いたい。

このような哀しみを生み出す戦争が二度とこの地に起こらないよう、平和への想いを新たにしたいものだ。

(まいどなニュース特約・中将 タカノリ)

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