日本の国民性は関東大震災のときと変わっていない? 「科学化して将来に備えよ」石橋湛山が遺した言葉を今こそ
菅首相が総裁選に立候補しないことを表明した。事実上の退任宣言である。総選挙については新総裁のもと行われることとなる。誰が新首相に就任するのか関心が高まるところではあるが、それは見守ることにして今回着目してみたいのは首相の任期についてだ。「人気」ではなく「任期」のほうだが、菅首相が就任したのは令和2年9月16日のことであり約1年の任期となる。この1年間のあいだに様々なことがあったのは周知のことであるが、続投することを断念された。
歴代首相のなか最長の在任期間は安倍前首相の2822日である。それ以前は、小泉元首相以降、1年前後での交代が何年も続いていた。首相の任期とはどのぐらいの長さがよいものかわからないが、保守合同、いわゆる55年体制の生まれた直後に任期が65日と、とても短命に終わった首相がいた。石橋湛山である。石橋は昭和31年12月の総裁選で決戦投票の結果、岸信介を下し自由民主党総裁になり、12月23日に首相に就任した。その後、残念ながら健康上の理由(心臓病と脳血栓だと後日わかった)で翌年の2月、在任期間65日で退陣することとなったのだ。
石橋は東洋経済新報社の主幹を務めたこともある言論人であり、その時代から首相の責任において政治的空白をつくることは許されないとの矜持をもっていた。自分の健康上の理由で2~3カ月ものあいだ首相の席をあけるぐらいなら潔く辞職をするということだった。当然のことながら、在任期間の長さだけで評価が決められるものではないだろう。その政治家としての経歴、さらにそれ以前からの経歴や人格、そして事績などによって評価されるべきである。
さて、石橋湛山が関東大震災(1923年9月1日)のあと、言論人として著したものに「日本国民は、わっと騒ぎ立てることは得意だが、落ち着いて善く考え、協同して静かに秩序を立て、地味の仕事をすることには不適任である。」と書いている。関東大震災から98年経ったコロナ禍における現在の日本にもそのままあてはまるのではないか。大正、昭和、平成、令和と激動の100年が経過したあとでも、国民性はあまり変わっていないのかもしれない。また、「データの整理や予防策など、科学化して将来に備えなければならない」とも主張している。現在であれば、いわゆる専門家の方々に、今後も到来するであろうウィルスの危機に備えて「科学化」してもらいたいものだ。
ところで石橋湛山は保守合同の以前は自由党に属しており、55年体制のなかで自由民主党の総裁へと選ばれ首相の座に就いた。オールドリベラリストによる政権だ。今回、詳細は書かずまたの機会に譲るが、その政治思想、経済政策から外交政策、主義主張が、言論人であった戦前から変わらず一心一向の政治家であった。
2021年自民党の総裁選は9月29日に投開票の予定だそうだ。首相というポストには常日頃から政治思想を明らかにしている方に就いてほしい。どこを目指して、この国をどのような方向に進めていこうとするのか、総裁選の投票権を持たない国民にもわかるように示して欲しい。
参考書籍:「石橋湛山の65日」保阪正康(東洋経済新報社)
◆北御門 孝 税理士。平成7年阪神大震災の年に税理士試験に合格し、平成8年2月税理士登録、平成10年11月独立開業。経営革新等認定支援機関として中小企業の経営支援。遺言・相続・家族信託をテーマにセミナー講師を務める。