豊田真由子が解説 衆院選、公約を考えるときのポイントとリアル“野党共闘の脅威”
10月31日(日)投開票の衆院選、論点はいろいろとあると思いますが、各党の打ち出す公約を考えるときのポイントと、選挙のリアル“野党共闘の脅威”について、考えてみたいと思います。
■「政策案の良し悪し」を判断するのは、実は容易ではない
どの候補者や政党に投票するか、の判断基準のひとつとして、「候補者や各政党の主張する政策がよいと思うから」というものがあると思いますが、公約で示された政策の良し悪しの判断というのは、実は、それほど容易なことではないと思います。それはなぜか?
一つには、①選挙で勝つために、国民の歓心を買うために、「耳障りのいい政策」を並べてしまうということが必ず生じます。議員として国会で活動するときにも、国民受けや団体のことを気にして、思うところを主張できない、ということはどうしてもあるわけですが、選挙となると、それが最高潮の状態なわけです。また、実際に政権を担う可能性が低いような場合には、「公約違反」を問われることはなく、であれば、実現できないことでもとりあえず言っておこう、ということも可能になっています。
そうした見極めをしていただくことは大事かと思います。
二つ目は、②「政策案の良し悪しの判断」というのは、依拠する立場や価値観等によって、大きく異なるからです。例えば、先日、財務省の事務次官(財務官僚のトップ)が、財政健全化の観点から、衆院選の各党の公約等について「ばらまき合戦」と批判したことが波紋を呼んでいますが、このように、何を重視するか、どの価値観に立脚するかによって、同じ政策が、「ぜひやるべき」とも「全くダメ」とも言われることになるわけです。(なお、賛否以前に、そもそも、論として正しいか間違っているか、という話がありますが、実はそれもまた、よって立つ学説や価値観や考え方によって、答はひとつでない、ということにもなります。なお、現職公務員が公に意見を述べることの是非については、ここでは論じません。)
また例えば、「格差」の議論にしても、ジニ係数(所得の不平等さを測る指標)の数値で見た場合に、米英と比較すると、「日本の格差は小さい」という主張になりますし、北欧や仏独等と比較すると、「日本の格差は大きい」ということになります。
「税率や社会保障の負担率が高くても、福祉教育等のサービスが広く無償の方がいい」と考えるか、逆にそこまで強く国家が介入しなくていい、と考えるか。
なんであれ、比較の基準をどこに持ってくるか、どういう国家の在り方が望ましいと考えるか、で結論は大きく変わってくるのです。
もちろん、本当に困っている方を救うことは、絶対に必要です。それは国家の責務です。コロナ渦で、経済的、社会的、精神的に窮地に追い込まれている方々は、国が、もっと迅速かつ効果的に支えねばなりません。できれば一回きりの給付や返済の必要な融資という形ではなく、就労支援やスキルアップといった形で、この先も、ご自身やご家族が希望を持って歩んでいかれるよう、ニーズや気持ちに寄り添った形での後押しが望ましいと思います。
■求められる「必要性」「妥当性」「実現可能性」
財政出動による景気浮揚、財政健全化による将来的な負担の軽減、どちらも大事で、両方できれば、一番良いわけですが・・・。
あらゆる公的サービス(各種給付金・補助金、行政サービス、社会保障、義務教育、道路などの社会インフラ等々)の原資となる歳入は、税金と国債(医療や介護などの社会保険サービスは、加えて、保険料と利用者自己負担)によるものです。
基本的に、公的サービスの質や量を上げたければ、負担は上がり、負担を下げたければ、公的サービスの質や量は下げざるを得ない。そして、負担というのは、必ず現在か将来の国民が負うことになる、という構図にあります。(どの時点でも、「ムダな支出」を減らすべき、という話はもちろんあります。)
そして、「誰が負担をするのか?(例:どの層のどの税負担を増やす・減らすのか)」という広い意味での「分配」の問題、そして、「全体のパイを増やすことで解決すべきではないのか?」」という「成長」の問題が出てきます。
「成長か分配か?」と言う議論がありますが、「成長させるとともに、必要な分配を行う」でないと、世界の中で、日本はもう間に合わない、と私は思います。
「経済を成長させ、所得を上げ、税収も増える。再分配も効果的に行われる。」--この30年間、できなかったことを実現するには、相当思い切った政策転換が必要だと思います。ただ、日本は、このまま世界の中で沈んでいくのか、そろそろギリギリのところだとも思うので、ぜひとも打って出ていただきたいとは思います。
ただ、その場合であっても、何であれ、政策には、「必要性」、「妥当性」、「実現可能性」と言うものが求められると考えます。大胆な発想で、不可能だと思われたことを可能にしよう!ということであっても、必ず、どうやってそれを実現するのか、ということとセットで示さなければ、安定的に国は動かせません。
政治でも行政でも、国家の運営を担う場合には、物事の全体を俯瞰して、大局的に、そして広く将来的な視座を持って、国家と国民のことを考える、政策立案を行う際には、必ず財源や将来的な負担の問題とセットで示すことが、責任を担うということだと思います。
そして、どういう政策を立案・実行する為政者を支持するか、という大切な選択は、国民一人ひとりに委ねられている、ということになります。
■選挙のリアル“野党共闘の脅威”
話は変わりますが、選挙戦略のひとつについて考えてみます。
与党候補にとって、「野党共闘」というのは、ほんとに脅威なんです。
どれくらいこわいかといえば、例えば、首都圏の1都3県(東京、千葉、神奈川、埼玉)で、前回2017年の衆議院総選挙の各候補者の得票数を見てみると、与党議員が勝った(1位であった)小選挙区59のうち、「野党候補の得票数を合計すると、与党候補の得票数を上回り、勝敗が逆転する選挙区」は、1都3県だけでも、実に33(今回、候補者を一本化する野党2党に限って計算した場合は、31)もあります。
もちろん、一本化されたからといって、一人の野党候補に、それまでの複数の野党候補の票がすべて行くとは限りませんし、政党に所属する議員には、比例復活の制度がありますので、この数(1都3県だけで、31)が、すぐさま与党の議席数の減少数に直結するわけではありません。
ただ、そうではあっても、与党の候補者にとって、「野党が分かれて複数の候補を立ててくれたら、自分が小選挙区で勝利できるのに、野党共闘で一本化されたら、自分は負けることになる」という恐怖心は、相当なものです。だからこそ、与党候補は皆、心の中で「頼むから、野党は分かれて、たくさん立候補してくれ!」と願うのです。
野党の方にとっては、「その選挙区で、野党として議席を獲得する」ということだけを考えたら、候補を一人に絞るのが、どんな立派な公約を打ち出すよりも、効果が大きいかもしれません。ただしそうはいっても、それぞれの政党の主義主張というのは、かなり異なり、支持者や支持団体のことなども考えれば、そんなに簡単にはいかない、ということだとも思います。
それにそもそも、選挙で議席を獲得するためだけに、国家の在り方や外交や安全保障など、国の根幹ともいえるところの考え方がかなり違う政党同士が手を結ぶというのも、一体どうなのか、という批判もあります。
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選挙や政治というのは、本当に苛烈で命がけのものです。今選挙区を走り回るどの候補の方もどの政党も、この国を良くし、国民を幸せにしたいとの切実な願いと志を抱いて、政治に携わろうとしている(はず)です。
それなのにどうして、こんなにも国民と政治の間に溝や不信感が生じてしまうのか、ということになるわけですが、いずれにしても、政治は真摯に国民の声を聞き、誠実にその負託に応える、そして、国民も冷静に見極めを行った上で、ともに未来に責任を負い協働して良い国づくりをしていく、そういう理想と希望を失わずに済む国であってほしいと、離れた身ではあっても、切に願っています。
◆豊田 真由子 1974年生まれ、千葉県船橋市出身。東京大学法学部を卒業後、厚生労働省に入省。ハーバード大学大学院へ国費留学、理学修士号(公衆衛生学)を取得。 医療、介護、福祉、保育、戦没者援護等、幅広い政策立案を担当し、金融庁にも出向。2009年、在ジュネーブ国際機関日本政府代表部一等書記官として、新型インフルエンザパンデミックにWHOとともに対処した。衆議院議員2期、文部科学大臣政務官、オリンピック・パラリンピック大臣政務官などを務めた。