「絶滅危機を救え」日本にいる8種類の和種馬 つながった帯広と古墳時代の大阪
古墳時代に複数の放牧場があったとされる大阪府下で和種馬の牧場を開設する動きがある。北海道・帯広の大自然で育った心優しい”道産子”を迎え入れ、柏原市の石川河川敷近くに来春オープン予定の「ホースランド大阪」(仮称)がそれ。絶滅の危機にある和種馬を救い、地域の活性化につなげようという試みだ。
来春、大阪府柏原市に和種馬に触れられる「ホースランド大阪」がオープンする予定だ。馬を提供するのは北海道帯広市の郊外にある「剣山どさんこ牧」で、ここでは70頭以上の北海道和種馬(通称・道産子)が自由に昼夜放牧で飼われている。
馬たちはとても人懐っこくて大人しく、場合によっては人が近づくと自分たちから寄ってきて鼻をこすりつけてくる。決して観光客に愛嬌を振りまくように躾けられたわけでも何でもない。ここの馬たちは生まれつき優しい性格で、地元の人たちは「日本で一番大人しく、人懐っこい道産子」と称賛する。
そのうえ、ここの馬たちは和種馬の特徴とも言うべき側対歩の特徴を受け継いでいる。人の場合も側対歩は存在し、本来は日本民族独特の歩き方とされてきた。俗にいうナンバ走りと同様。馬の場合は速歩などで右前脚、右後脚が同時に動く。
欧米の馬が斜対歩の歩様で上下の揺れが大きいのに対し、側対歩の馬はこの揺れが小さく、騎乗で弓を射ったり、武器を扱うのに都合がよいだけでなく、背中に積んだ荷物の損傷も少ないので昔は重宝されたようである。本来、和種馬は側対歩の特徴を備えていたとされるが、今では側対歩をする馬が少なくなっており、貴重だ。
もともと和種馬は洋種馬に比べて体が小さく、体高は道産子で125センチ~135センチだが、脚元が丈夫で山岳地や悪路に強く、粗食に耐える我慢強さがある。今回、導入される道産子は江戸時代に夏季の使役のために南部藩が連れてきた南部馬が、冬季にそのまま放置され、北海道の厳しい気候風土に適応するようになった、と言われている。
南部馬は今は絶滅していて、その姿を見ることができないが、200キロもの荷を積んで急斜面の山道を上り下りできる道産子の能力から江戸時代の南部馬を想像することができる。
「剣山どさんこ牧」のオーナー、川原弘之さんは2017年に国際騎射大会を開催するなど、現代における道産子とその活用方法を考え、日本伝統騎馬武芸にいかすなど積極的な活動を行っている。さらに、特に大人しくて側対歩ができる馬のみを掛け合わせ、長年苦労して増やしてきた。
川原さんは観光牧場としての業務も展開していて、ここを訪れた人は道産子たちと戯れながらランチを楽しんだり、キャンプをしたり、都会では味わうことのできない特別な時間を過ごすことができる。
和種馬は明治になって政府の方針で、洋種馬との交配によって大型化の促進が推奨され、日本在来馬、すなわち和種馬の純粋な血統は壊滅的な状況となった。各地方に僅かに残された和種馬の血統を保存し育成しようという動きが近年生じて、各地に保存会などが設立されている。
現在、日本には僅か8種類の和種馬しか存在せず、木曽馬(長野県)、御崎馬(宮崎県)、対馬馬(長崎県)、野間馬(愛媛県)、トカラ馬(鹿児島県)、宮古馬(沖縄県)、与那国馬(沖縄県)、北海道和種馬(道産子)である。
このうち一番頭数の多い北海道和種馬でも1000頭余り。それ以外の種類で頭数の少ない品種は30頭、多くても百数十頭で絶滅の危機にある。
和種馬の起源は古墳時代にモンゴル高原から朝鮮半島を経由し、対馬・九州に家畜馬として導入された蒙古系馬にある。これが全国に広がり、和種馬のルーツとなったようである。
大阪も例に漏れず、東大阪地方、生駒山麓や旧河内湖周辺の遺跡からは馬の骨の出土例が31を数えている。5世紀後半から6世紀後半にかけてのものとされ、古墳時代の大阪には放牧場が複数あり、朝鮮半島を経由して輸入された馬や日本で生まれた仔馬たちを飼育していたと考えられる。
古代から馬との縁が深かったその大阪の地で古墳群と接する柏原市の石川河川敷近くに来春オープンする予定なのが和種馬を使った日本武芸と乗馬サークル「ホースランド大阪」だ。
企画、運営をする国際武術文化連盟および日本甲冑合戦之会の代表・横山雅始さんは「まずは大人しく人懐っこい和種馬と触れ合って、心が癒される時間を楽しんでいただければ嬉しい。時代装束を着て騎乗写真も撮影いただけるし、順次、初心者の乗馬体験や日本の騎馬武芸や乗馬トレッキングなども行っていきたい」と意気込む。
確かに、大人しくて揺れも少ない側対歩をし、洋種と比べて小柄な和種馬であれば、乗馬が初めての人でも安心して楽しめそうだ。しかも、大阪市内から電車と徒歩で数十分でアクセスでき、だれでも気楽に馬と触れ合える機会が得られるのは、ホースセラピーという意味においても魅力的だ。
思えば、古代に大陸から朝鮮半島を経て日本に馬が伝わり、和種馬のルーツとなる放牧場が存在した大阪の地に、いま再び和種馬を育成して日本伝統文化の武芸を守るなんてロマンたっぷりではないか。
馬と人との心の触れ合いを大事にするこの試みが地域の活性化にもつながり、国内だけではなく海外からも日本文化ファンや侍ファンが訪れることを期待したい。
(まいどなニュース特約・山本 智行)