障害者になる=恥ずかしい? うつ病で無職になったぼくが気付いた「内なる差別」と、新たな人生で見えた希望
仕事を持ち、愛する人と結婚して、宝物のような我が子を授かる…。端から見れば「幸せの絶頂」とも見えそうな瞬間に、心を病み、仕事を失ってしまったぼく。フリーランス兼主夫を目指すも挫折し、真っ暗闇で最後に見出したのが「障害者になる」ことでした。(全5回の5回目)
■「恥ずかしい」? 差別は、心の内側にあった
35年間、健常者として生きてきました。ごく普通の人生だったように思います。サラリーマンとして働き、結婚をし、子どもを授かり…いろいろ辛いことはあったけれど、レールには乗れていた人生。そんなぼくがうつ病になり、障害者になるなんて思いもよりませんでした。でも、社会復帰をして、社会の歯車に戻りたい。家族を養っていきたい。欲しい物をたまには買いたい…。そのためにぼくは、障害者雇用を目指して障害者手帳を取得する決断をしました。
この決断は、とても難しいものでした。本当に恥ずかしいことですが、自分が障害者になることに抵抗があったのです。もちろん、障害者の人を差別した経験はありません。でも、自分が当事者になってしまうことが辛かったのです。自分の家族にも迷惑になるんじゃないか、とも思ってしまったのです。
娘を寝かしつけた後、奥さんに切り出しました。暑い頃でした。フリーランスでは稼げない。就職しようと思っても病気やブランクが壁になる。残された道は障害者雇用しかない-。奥さんはぼくの話を淡々と聞いていました。
そして、思い切って「夫が障害者になって、嫌じゃない?」と聞きました。奥さんは真顔で「全然、嫌じゃない」と言うと、「働いている時のほうがイキイキしている」「障害者雇用にチャレンジするっていう前向きな姿勢は良いと思う」とほほ笑んでくれました。
■安堵した両親「これからも頑張れよ」
一番辛かったのは、両親に報告した時でした。「自分の息子が障害者になった」となれば、心配しない親はいないでしょう。電話越しに「障害者手帳を取るわ」と告げると、母は「分かった」と一言、答えました。そして「働くことになっても無理しないように」と心配してくれつつ、「働く希望が見えてきたね」と安堵した様子でした。
そこで、ぼくは母が、奥さんや奥さんの両親に対して申し訳ない気持ちをずっと抱いていたことを知りました。金銭的、生活面で迷惑をかけていると心苦しく思っていたのでしょう。ぼくのせいで、両親にも苦労をかけてしまってたんだなと実感して苦しくなりました。父からはLINEで「これからも頑張れよ」とメッセージが届きました。
こうしたことを考えているうちに、ぼくはある事実に気が付きます。ぼくは、知らず知らずのうちに障害者の人を自分より下の立場に見ていたのです。「障害者になるのが恥ずかしい」と思うということは「今障害を持っている人」のことを自分より下の立場と思っているのではないか、と。本当に自分を恥ずかしく思いました。
夏も終わりの頃、障害者手帳を取るべく相談した心療内科の主治医は「働いているほうが状態が良いとように思うから、その決断は良いと思う」と言ってくれました。すぐに書類を書いてもらって、役所に申請。正式に障害者となったのです。
■「障害者を納税者に」
それから、障害者雇用を目指して就職活動を始めました。しかし、コロナ禍の真っただ中。書類を20社ほど送って面接ができたのは2社のみ。1社は最終面接まで残りましたが、結局落ちてしまいました。待遇や通勤時間などをかなり妥協しても、就職に結びつかなかったのです。それも当然のことでしょう。うつ病で退職して以来、ぼくが行っていたのは主夫業とWEBライターとしての仕事のみ。4年ほどのブランクがあったので、いくらフリーランスとして働いていたいう実績があっても、履歴書を埋めるまでには至らなかったのです。
それでもなんとかして働かなければ未来がない…そう思い、資格取得の勉強や情報収集をし、ひとつの希望を見つけました。「就労継続支援A型事業所」という福祉サービスで、簡単に説明すると「一般企業への就労が困難な障害者を対象に、就労訓練や支援を行う事業」です。障害者は、就労継続支援A型事業所と雇用関係を結び、障害に配慮してもらいながら働けるのです。雇用関係を結ぶので、最低賃金は保証されます。ぼくはこの情報を得てすぐに、近くの就労継続支援A型事業所を探し始めました。
そして「障害者を納税者に」という理念を掲げる今の会社(事業所)に出会いました。ぼくは、障害者になったからといって稼ぐことを諦めていませんでした。ぼくがある程度稼がなければ、奥さんに負担がかかります。子どもにおもちゃを買ってあげることもできません。家族を笑顔にするために、稼げる事業所で働きたかったのです。「障害者を納税者に」という言葉は、当時のぼくの胸に刺さりました。
そしてすぐに、見学の予約を入れ面接をしてもらい、とんとん拍子に入社が決まったのです。この時ぼくは、なんとも言えない気持ちになりました。フリーランスの頃は、毎日毎日WEBライターとして記事を書き「手を動かしていない時は一銭も稼げていない」という気持ちにいつも襲われていました。それが雇用契約を結んだことで、瞬く間に最低賃金が確保されることになりました。出社して真面目に働いたらお給料がもらえる…このことは、ぼくの気持ちをとても満たしてくれました。
■正社員に登用「人生はやり直せる。あきらめないで」
仕事に就くことになり、家にまとまったお金を入れられるようになりました。たまには子どもにおもちゃを買ってあげられます。会社と相談して認められたおかげで、4時間勤務をフルタイム勤務にさせてもらいました。入社から1年後、ぼくは正社員として登用されることに。ぼくは、真面目に誠実に仕事を頑張った自負があります。そのことを会社に認めてもらい、とても嬉しかったし感動しました。
こうしてぼくは、正式に「社会復帰」をすることができたのです。今は障害当事者の立場から、障害者スタッフの支援をしたり、自ら売上を作る仕事をしています。今後は、障害者の支援を行い、事業を大きくしていく活動をしていきます。その結果、周りの人へ恩返しをし、家族の笑顔を増やすことが目標です。
結果的に障害者になるという決断は、間違っていませんでした。障害者になっていなければ、今のぼくはありませんし、今頃どうなっていたかわかりません。うつ病になり人生が大きく変わりましたが、結果的に今の状況を幸せに思っています。うつ病になったことでくじけてしまうこともありましたが、諦めなければ人生は好転するということを学びました。この経験のおかげで、人間的に大きく成長できたように思います。
今うつ病真っただ中の人や、周りにうつ病の人がいるという方は、決して諦めないでください。ぼくの場合は社会復帰まで約5年かかりましたが、これからそのブランクは取り戻せると思っています。もっと長く闘病している人も、今闘病中の人も、きっと人生やり直せます。そしてやり直せた際には、もっと強い人間になっていることでしょう。
(まいどなニュース特約・かいぞう)