17歳6カ月の愛猫が息を引き取る瞬間は、とても静かで穏やかで… 獣医師の私がたどり着いた「終末期医療」とは
うちで飼っていたメインクーンミックスの雄猫「カッツ」が、12月30日に亡くなりました。17歳6カ月でした。そんなにびっくりする程の長寿ではないけれども、まあまあの長寿ですね。そして、健康寿命も同じ17歳6カ月でした。健康寿命とは、治療や介護によって日常生活が制限されることなく、通常通りの生活が送れる期間のことをいいますが、カッツは亡くなる3日前まで食べていました。
実は、カッツは血液検査をすると、2~3年前から軽度の腎機能低下がありました。しかし、生来食欲旺盛で何でも喜んで食べ、体重も減っていなかったので、特に治療はしませんでした。
よく、「獣医さんの家の猫は良いですね。しっかり治療してもらえて。」と言われるのですが、違います。昔から「紺屋の白袴」とか「医者の不養生」という諺があります。私がカッツに攻めの治療をしなかったのは…それも理由のひとつですが、もう15歳となり十分「ニャン生」を堪能しただろうから、延命のような行為はしたくなかったのもひとつです。
ただし、カッツは小さなころから手作りごはんや海苔、ちりめん、お刺身などなどいろいろな「新鮮な」食べ物を食べてきました。亡くなる半年前に、急にやせ細り脱水が目立ってきたので、それからは毎日のようにボーンブロス(骨つき肉を低温で48時間煮込んだスープ)を与えました。これが、治療と言えば治療でした。
腎臓の機能が低下して腎不全になると、人間は透析をして血液中の老廃物を処理しますが、犬猫では透析は一般的ではありません。その代わりに、血管や皮膚の下に点滴をいれて十分な水分補給をします(補液といいます)。しかし、「補液」には血管や皮下に入れる以外に、「経口補液」という方法もあるのです。カッツにボーンブロスを与えるのは「経口補液」としての意味がありました。むしろ、医薬品の「点滴」よりも、ビタミン、ミネラル、アミノ酸、ゼラチンなどが豊富に含まれていて、抜群の栄養です。実際、2週間連日ボーンブロスを与えた前後の血液検査を比較したところ、腎機能をみる数値が半減するなど、改善が見られました。カッツはボーンブロスが大好きだったので、つい最近まで、毎朝キッチンの前でボーンブロスが出されるのを待っていました。
しかし、体重は日に日に減ってゆき、元気だったころの3分の1の2キロにまでなりました。骨と皮どころか、骨そのものでした。筋肉が無いので、足を曲げたり伸ばしたりが出来ないために、とても歩きづらそうでした。そして、カッツは亡くなる5日前までボーンブロスを貪り…3日前までは、ボーンブロスを少量飲み…以後は横になり何も口にしなくなり、動かなくなりました。まるでおもちゃの電池が切れたかのようでした。
カッツは、ヒーターの前で3日間、眠り続けていました。ボーンブロスを口まで持っていきましたが、「もう構わんでくれ!」とばかりに前足で振り払いました。ずっと眠っているのですが、ゆっくりと深い呼吸をしていました。そして、30日の朝、呼吸が粗くなり(亡くなる前の特徴的なもの)、やがて止まりました。私はすぐに肋骨の隙間から心臓を掴みました。心臓の周りの筋肉はほとんど無かったので、直接心臓を掴んでいるような手触りでした。呼吸が止まってもまだまだしばらく心臓は拍動していましたが、ついに、心臓も止まりました。とても静かで、穏やかな時間でした。カッツは、とても安らかな顔でした。
亡くなる前の3日間は、カッツがとても世話を焼いていたてんかん持ちの1歳の三毛猫、のりちゃんがずっと傍から離れませんでした。のりちゃんもその3日間、食欲がありませんでした。カッツが亡くなった後は、同居していたもう1匹の猫も、冷たくなったカッツの上にしばらく乗って来ました。お別れの儀式なのでしょうか?しばらくの間そうした後に、2匹は去っていきました。
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高齢の猫が腎不全になると、残念ながらまず治ることはありません。良くなってもやがてはまた、病状は進行します。私が新米獣医師のころは、それでも、やれる治療は最期まで何でもしてあげて、その動物を少しでも長く生かすのが治療だと思っていたところがあります。あるいは、ひょっとして奇跡が起きて腎不全が治るのではないか?と考えたことも。
治療をしても改善が望めない患者に対して、苦痛を与えるような延命医療を中止し、人間(動物)らしく尊厳を保ちながら死を迎える(尊厳死)ためのケアを、「終末期医療」といいます。しかし、そもそも、人間の医学部でも獣医学部でも「死にゆく人間(動物)の病態や治療の考え方」などを学ぶ授業は、ほぼありません。したがって、新米獣医師が担当した動物の終末期医療に直面したとき、どうしていいのかわからず、最期まで攻めの治療をしてしまう場合があるのです。 実際に人間でも、亡くなる直前まで、いえ、亡くなってもなお抗がん剤の投与が行われていることすらあるのが現状です。
そうして、私も新米獣医師の頃は攻めの治療を提案しておりました。毎日多くの薬を飲ませたり補液をしたり…しかしそのような治療を続けると、亡くなる最期にケイレンが起こったり、口から血を吐いたり…急に激しい肺水腫が起きたり。最後に苦しい表情になりお別れすることが多いことに気づきました。
もしかして、動物は、亡くなる前に自らを脱水させて、脱水すると意識が低下し、痛みや苦しみを感じなくなるのではないだろうかと考えはじめました。調べてみると、人間の医師でもそのようにお考えになり、「尊厳死」を啓蒙する活動をされている先生が何人もおられました。
現代の医療では、飲まない/食べないとなると、脱水や栄養不足の改善にと補液治療をします。もう回復する見込みがなく寝たきりで意識のない人にも同様に、補液をすることが多いそうです。しかし、全身の臓器機能が落ちている終末期に何日も何日も補液を続けるとどうなるのでしょうか…全身がむくむのです。むくんだ腸は腸閉塞を起こして嘔吐するようになり、心臓はオーバードーズの血液をさばき切れず心不全を起こし、肺には水が溜まり血管が切れ、血の泡を吹くのです。つまり、地上にいながら溺れて苦しんで亡くなるということなのです。
やはりそうなのです。私は、私が新米獣医師の頃に診察させていただいた終末期医療の犬猫たちに、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。もちろん、終末期医療とは「何もしない」ということではありません。回復の可能性があれば治療をいたしますが、「治療をしても回復が見込めない場合に」、たとえば極度に脱水していれば少量の補液をし、痛みが強い場合はしっかり鎮痛する、といった患者に寄り添う治療が終末期医療となります。
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現在私が勤務している動物病院の患者も、私が診察し始めて10年近く経つため、多くが高齢です。しかし、以前のような「とりあえず補液」的な治療はいたしません。食べられるうちは漢方薬をお出しいたします。その結果、「眠るように逝きました」「苦しまずに亡くなりました」と言われることが多くなりました。先日亡くなった21歳のヨーキーは、亡くなる前にお母さんに向かって「ウェンウェン!キュンキュン…」とひとしきりいろいろお話をした後、お母さんの腕の中で息を引き取ったそうです。
人間も含めて、動物は100%亡くなります。大切なのは、その日をどうやって迎えるのか、その日までどうやって生きるのか、その日までどれだけの人間や動物を愛し愛されてきたのか、だと思います。動物とその飼い主様へ、そのための道案内をするのが獣医師の役目だと私は思っています。
(獣医師・小宮 みぎわ)