M1チャンピオン…錦鯉の「長谷川」「渡辺」名字のルーツは いずれも関西の“水辺”に関係していました

一昨年のM1で4位に入って注目された錦鯉が、昨年にはついにチャンピオンとなった。この2人、ツッコミの渡辺が43歳、ボケの長谷川が50歳ということで、遅咲きコンビとしてその年齢も話題になっている。

名字的にみると「長谷川」「渡辺」ともにメジャーに名字だ。ただし、この2つには共通点がある。それが、いずれも関西の特定の場所をルーツとする名字ということだ。

まずはボケ担当・長谷川雅紀の「長谷川」。北海道の出身だが、「長谷川」という名字は新潟県に多い。そして名字のルーツは奈良県にある。本来「長谷」という漢字に「はせ」という読み方はなく、「長谷川」という名字は難読名字である。しかし、「長谷川」さんが極めて多いため、普通に「はせがわ」と読んでいるにすぎない。

この名字のルーツとなったのは奈良県桜井市の長谷(はせ)地区である。古代、ここは茅渟(ちぬ)の海と呼ばれた大阪湾から舟で川を遡れる最終地点で、「はつせ」と呼ばれて漢字では「泊瀬」と書いた。この泊瀬を流れる川が泊瀬川(はつせがわ)で、読み方はのちに「はせがわ」と変化した。

この泊瀬川が流れる場所は、東西に長く伸びる細い谷である。そこから、「はせがわ」に「長い谷の川」という意味で「長谷川」という漢字をあてるようになったものだ。そして、長谷川流域にはいくつかの武士団が生まれ、彼らは「長谷川」を名字として各地に広がっていった。

一方、ツッコミ担当は渡辺隆。「渡辺」は全国ランキング第4位というメジャーな名字で、全国に広く分布しているが、こちらもそのルーツは1カ所に限定されている。その場所が、かつて大阪にあった渡辺の津という湊である。

平安時代、大阪湾は今よりもずっと奥まで入り込んでおり、梅田駅の南方あたりが海岸線だった。この付近を渡辺といい、畿内から瀬戸内海に向かう重要な湊であった。「渡辺」という地名そのものも、「渡しの辺り」という意味である。

この付近を本拠としたのが、嵯峨天皇の末裔である嵯峨源氏の一族で、彼らは「渡辺」を名字として渡辺党という武士団を形成していた。土地柄、渡辺党は操船技術にたけた集団であり、その技術を買われて各地に広がっていった。そして、渡辺党の一員であることを明確にするために、移り住んだ先でも「渡辺」を名乗り続けたために「渡辺」は全国第4位という名字となった。

◆森岡 浩 姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部卒。学生時代から独学で名字を研究、文献だけにとらわれず、地名学、民俗学などを幅広く取り入れながら、実証的な研究を続ける。NHK「日本人のおなまえっ!」にコメンテーターとして出演中。著書は「47都道府県名字百科」「全国名字大事典」「日本名門名家大事典」など多数。

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