「新しい資本主義」はスタートアップをつぶすのか 今年のIPO第1号初値が公開価格割れの衝撃

 2月3日。東証マザーズに新規上場した訪問看護のリカバリー・インターナショナル(RI、証券コード9214)が2640円の初値を付けたとき、株式市場は暗澹(あんたん)たるムードに包まれた。初値は公募・売り出し(公開)価格の3060円を14%も下回ったからだ。「株に対して何の理解もない人たちが、とにかく成果を出そうとあがいた結果、誰が困るのか分かっているのかな」と、ある個人投資家がぼやいていた。本当に困るのは自分たち投資家ではない、という含意もある。確かにそうかもしれない。

  RIは今年に入って第1号の新規株式公開(IPO)だった。これまで新年第1号と、5月の大型連休明け第1号は、初値(取引所で取引された最初の株価)が、公開価格(上場直前、企業に資金を調達させるため、投資家に株式を取得させた価格)を大きく上回ると決まっていた。正月休みや大型連休で上場の手続きが中断されないように、休み明け第1号のIPOは直前のIPOから1カ月近くの間隔が空く。このため初値狙いで買う投資家の資金が第1号銘柄に集中しやすいからだ。

■ベテラン証券マン「記憶にない」

  少なくともIPOに「ブックビルディング」という現行制度が導入されて以来、年始のIPOで初値が公開価格を下回ったことはなかった。ベテランの証券マンにそれ以前のことを尋ねても「記憶にない」というから、新年第1号のIPOで初値の公開価格割れが起きるのが、どれだけ異例のことかというのが分かってもらえるのではないか。

  それもこれも昨年8月に公取委が唐突に「公開価格安すぎ問題」を唱え始めたことにある。市場関係者には寝耳に水だった。初値は高い時もあるけど、公開価格はわりと妥当だというのが市場のコンセンサスだったからだ。確かに2021年の夏場ぐらいまでIPOは絶好調で、初値は公開価格を大きく上回っていた。いちよし証券によると、2021年に初値が公開価格を上回った「勝率」が9月までは93.6%と驚異的な高さだった。問題はこれが「ある特定の投資家が得をして、新規上場会社が十分に資金を調達できていない」と何者かによって指摘されたことだ。

■岸田政権発足とともに水準が低下

 さらに岸田文雄首相の就任と前後して、初値が公開価格を大きく上回らなくなった。初値が公開価格を下回る銘柄も増え、「勝率」は68%と、ここ10年の年平均では見当たらない水準まで低下した。この変調についてIPO分析の第一人者である、いちよし証券投資情報部の宇田川克己・銘柄情報課長は「年末にかけて銘柄数が増えてIPOの需給が緩んだことや、大型株も含めて株式相場全体の上昇にかげりが出てきた」ことがあると指摘する。さらに岸田首相が「新しい資本主義」を掲げて投資家に儲けさせまいとする姿勢を強調したことから、高い初値だと政権ににらまれると個人投資家などが初値買いを避ける、株式市場による「一種の忖度(そんたく)もあったかもしれない」と話していた。

  RIが新規上場する1週間前の1月28日、公取委が発表した「公開価格安すぎ問題」の「報告書」がふるっている。数多くの「競争政策上の考え方」を示したのはよいが、誰に何の競争を促すのかがよく分からないのだ。公取委は主に2つの視点から問題点を指摘している。1つは主幹事になる証券会社の偏りだ。主幹事の上位5社でIPO社数の90%を占めている。と指摘する。そしてもう1つは、公開価格の設定に上場会社の意見をもっと取り入れるべきとする点だ。

  前者については証券会社が「上位5社」になった経緯を考えるとよい。1997年に山一証券が自主廃業するまでは、主幹事は山一を含む伝統的な総合証券4社でほとんどを占めていた。現在は残った総合証券3社に加え、みずほ証券とSBI証券が上位5社だ。上位5社に銀行系証券とネット専業証券が食い込むようになるまで、何が起きたのか。初値と公開価格の問題は関係なく、銀行に証券参入を認めたり、インターネットだけで営業する証券会社の証券業登録を認めたりといった規制緩和があったことで、競争が進んだのが現状だ。

  後者については、主幹事証券が自らの投資家の顧客名簿を新規上場会社に示して、新規上場会社に上場直前の会社説明会(ロードショー)に参加する投資家を選ばせろ、という投資家からみれば、かなり不公平で競争上問題のある「考え方」も公取委が示している。個人投資家が買いやすいように公開価格を下げているという説も報告書で紹介されているが、これも個人投資家しか買えないような小規模なIPOが多いことと表裏だ。購入を希望する投資家層が少ないのだから、その分の値引きは必要になる。個人投資家が不透明な価格の原因だというなら、機関投資家しか参加しない社債の発行市場はもっと透明度が高いのだろうか。そもそも公開価格の設定に新規上場会社が積極的に携わるといっても、それができるなら主幹事はいらないのではないか。餅は餅屋ということもある。

■公開価格割れは投資家離散の表れ?

  そうした株式市場に携わる立場から見て、およそ筋の悪い知見の積み重ねを公表した挙げ句の、年始第1号初値の公開価格割れだ。ごく単純にいうと「投資家にはもうけさせない」という姿勢を政府が改めて示してプレッシャーをかけたことで、投資家が離散した形だ。利益の得られない市場に資金を投じる投資家はいない。言い換えると、RIの初値が公開価格を下回ったことは、東京市場が新興企業(スタートアップ)による資金調達の場としての機能が、政策によって弱体化したことを象徴的に示している。

  投資家のもうけを減らしてスタートアップの資金調達額を増やしたい、というのがそもそもの発想なのだろうけど、そこで起きていることの意味を考えず、現象だけを追いかけてもいい結論は得られない。すでに上場を取りやめたり、上場申請を取り下げたりする動きが出ている。新規上場が難しくなるなら、ベンチャー投資家が日本のスタートアップに対して投資する意味もなくなる。投資回収の場がない投資に意味はないからだ。成長のためにはイノベーションが必要で、そのためには起業家だ、スタートアップだと掛け声は勇ましいが、その出口をふさぐ話ばかりするのだから、そちらに進む人はいなくなるだろう。それが新しい資本主義なら、日本は残念ながら豊かになりようがない。

  岸田政権には誰かが「競馬や競艇といったギャンブルと、株は違うものですよ」と教えてやる必要があるのではないか、と思うほどだ。不公平つまり非効率が起きているなら正すのが筋とはいえ、日本経済における株式市場の存在意義を考えると、誰がもうけたとか損したとかいう話はむしろ小さな話なのだ。株式市場は、企業がまとまった資金を調達するための場であり、企業が売買されることで合併や買収(M&A)が起きて社会が効率的になるといった機能がある。そうした教科書の1ページ目みたいな話を無視して、茶の間ウケのいい話だけしたところで、「分配」の原資になる成長の果実を得るのは難しいだろう。

(経済ジャーナリスト・山本 学)

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