「何度でも言う…」ウクライナ商社マンの言葉に今も感謝 恩を感じている貿易従事者の投稿が話題
東日本大震災後にウクライナ商社マンの一言で救われたという貿易関係者のつぶやきが話題になっている。
「何度でも言うけれどさ、震災後福島産の食品を禁輸するしないで国外がめっちゃ揉めてた時、ウクライナのひとがうちにはチェルノブイリがあるから分かるが福島の食品は安全だ、大丈夫だから落ち着けって庇ってくれたんだよな...」。2011年に大震災が起きた3月11日を前に、そしてウクライナがロシアから侵攻を受けているなか、そうツイートしたのは、貿易関係の仕事をしていてウクライナ人の知人がいるというMatsuki ***さん(@liliput)。このツイートを見た人からは、「…何かで応援する、し続けるよ(´- `*)」など、今度は私たちがウクライナの役に立ちたいというリプライが相次ぎました。
「なんとかウクライナを助けられないかな…と思います」
「そういうことなら俺もウクライナ応援するしかないよなあ!」
「ロシアが戦争をやめた瞬間、福島はまっさきに支援しに行って欲しい」
「その気持ちは解るよ。ただ、だからといってロシア悪、ウクライナ善なんて、構図にはならんと思うよ。それに東日本大震災後、ウクライナだけじゃない、ロシアも支援の手を回してくれた」
投稿者に当時の詳しい話を聞きました。
ーー震災当時、ウクライナの人たちが応援してくれなかったら輸出できなくなっていたのかもしれないのですね。
「わたしは震災当時関西に在住し、貿易関連の仕事をしていました。基本的にはわが国からの輸出の70%以上が機械部品等の非食品であり、食品は微々たるものですが、福島県も同様です。しかし、福島県は海産物や日本酒等の評価が高く、主にアジアに向けての輸出を拡大していこうという動きがあった矢先に震災があったんです」
ーーこれからという時に被災したのですね…。
「わたしがツイッターで紹介したウクライナの方のご発言はウクライナの国家を代表したご発言ではなく、LinkedInというSNS上でのことです。当時LinkedInの貿易関連フォーラムでは、日本からの輸入について大激論が交わされており、大半は日本からの全面禁輸を求める声でした。そのフォーラムにはわたしを含め日本人もいましたが、返す言葉がなくフォーラムに流れるコメントをただ見つめるだけでした」
ーーなるほど。
「でも、その中でウクライナの商社の方だけがチェルノブイリの経験を語ってくださり、そうした対応は過剰反応であると反論してくださっていました。大変にありがたく、頼もしく思ったことを覚えています。国家としてのウクライナは一時期EU等に同調した禁輸措置があったものの、震災直後から原発事故への対応支援を申し出てくださり、専門家を派遣するなど親身になってくださっていた覚えがあります。日本との貿易についてウクライナが国家として直接何かしてくださったのかどうかは分からないですが、原発事故後の輸出再開に向けた安全性検証にウクライナがご支援くださったことは間違いないと思います」
ーー日本国内でも福島産の農作物や海産物への風評被害はなかなか収まらなかったのですが、ウクライナの人たちは科学的かつ合理的に物事を考えていてくれていたのですね。
「ウクライナだけでなくロシアもそうですが、原発事故の経験があるので、他の国より冷静に、科学的、合理的に事実を見つめられたのではないかとは思います。身の回りのウクライナの友人知人は皆さん心優しく面白い方で、関西人とそう変わらないごく普通の人々です」
ーー日本人ができることは?
「ウクライナの苦境はもちろんのこと、ロシアの方々のご心痛についても悲しく、平和を祈るばかりです。日本人は反戦への声を上げることはもちろん、募金、人道支援や難民受け入れ等も含め、日本としてできる限りのことを検討するよう訴えるべきだと思います」
◇ ◇
福島県の産物が禁輸になることに全力で反対し、輸出再開に向けた安全性検証に尽力してくれたというウクライナの人たち。反戦の声を上げたり、募金をしたりすぐにできることもありますが、事態が収束した後の難民支援や復興支援も欠かせません。一人一人の力は微力でも、集まれば大きなうねりになることは間違いなく、できることをしていきたいですね。
(まいどなニュース特約・渡辺 陽)