動物病院から匙を投げられた高齢猫 顔のできものは悪性のがんだった 年末年始を頑張り、最後の日もご飯を食べてくれたね
20歳の猫・縞子ちゃんが、とうとう亡くなりました。朝、顔の真ん中にある大きなできものから大量の出血があった日の、夕方のことでした。
飼い主さんのKさんから「先生、ありがとうございました」とLINEで連絡があり、私は縞子ちゃんが天国に行ってしまったんだなと思いました。と、そのすぐ後に縞子ちゃんが元気なころの顔写真が送られてきました。私はそれを見た瞬間に、「こんなにかわいらしいお顔だったのか!」と思い、胸が締め付けられる思いがしました。
私が縞子ちゃんに出会ったのは、昨年の年末、ほんの3カ月前で、そのときはすでにお顔の真ん中に大きなできものがあり、それは大きくなりすぎて両目を両端に押しやっていました。そのできものが出来てから、縞子ちゃんは2軒、動物病院へ行ったそうです。しかし、どちらの病院も「高齢なので全身麻酔もかけられず、治療は何もありません」と言われて、そのできものが何なのかもわからないまま、帰ってきたそうです。
全身麻酔がかけられないというのは、その通りでした。若いころ5キロあった体重は、もはや2.2キロしかありませんでした。目も見えず、耳も遠いようでした。そして、家ではほとんど動かず、失禁もしてしまう状況。このように弱った体に麻酔をかければ、意識が戻らない可能性があります。しかし、ごはんはしっかり食べているとのことでした。Kさんは「こんな状況では年を越せないでしょう。来年まで生きてくれるとは思いませんが、残りの時間を少しでも楽に過ごせるように、何かできることはないでしょうか?」と、当院へ来られました。
できものは、その大きさや急速に大きくなったという経過から、「悪性のがん」であることは間違いありませんでした。触るとふわふわしており、エコーで確認しても太い血管はありませんでしたので(太い血管があれば、できものを針で刺した場合、その血管を針で刺してしまって大出血する可能性があります)、注射針でそのできものを少量採取し、顕微鏡で細胞などを確認しました。そして、おそらくは鼻腔腺癌であろうことを伝えました。それから、Kさんのご希望に沿って、漢方薬や鍼灸、点滴療法などの治療のご提案をしました。Kさんは、そのできものが何であるかがわかり、治療出来ることがわかって、非常に喜んでくださいました。
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20年前、Kさんは就職に失敗して、親戚が所有する空き家で独り暮らしをはじめました。しばらくして、玄関に姿勢よく座る猫が来るようになりました。それが縞子ちゃんでした。とても人懐こく、Kさんが抱っこしたところ、痩せているのに異様にお腹がポンポンなの気づき、これはもしやと思い近くの病院へ連れて行ったそうです。予想通り妊娠していましたが、生まれてくる子猫の面倒までみることは出来ないと判断し、赤ちゃんごと避妊手術をされました。そのときKさんは、「縞子ちゃんだけは大事に育てよう」と誓ったそうです。
Kさんは、縞子ちゃんを外猫としてごはんだけあげようと考えておられました。しかし、動物病院から「手術後は抜糸までしばらく家で過ごすように」といわれたため家に入れ、以来結局、約20年を一緒に暮らすこととなりました。猫は家につくといいますが、Kさんはその後20回くらい引っ越しをし、縞子ちゃんはKさんと一緒についてきました。あるときは海辺のロッジ、あるときは京都の町屋…ときには外に遊びに行って、猫らしくネズミをくわえて帰ってきたこともありました。
縞子ちゃんは「ヒトを見る目」がありました。 Kさんにボーイフレンドができたとき、後に酷い奴だったとわかって別れるまで、縞子ちゃんはその男に「シャー」と威嚇し、どれだけ撫でられても知らん顔したそうです。 その代わりに、Kさんののちにご主人となる方や、Kさんが今も大切にされているご友人達には、常にゴロゴロいって出迎えました。 そして、Kさんの胸やお腹の上で寝ていた縞子ちゃんでしたが、Kさんが妊娠して以来子供が生まれるまでは、一度も体の上に乗ることはありませんでした。 子供が産まれると、縞子ちゃんはおばあちゃんの年齢ではありましたが、子供の匂いをかいだり、体をくっつけて寝たり、お行儀よく眺めたりしていました。
Kさん家族が縞子ちゃんに話しかけるといつも短く「にゃ」と返事してくれました。しかし、昨年あたりからは口だけ「にゃ」の形に開け、声は出ていませんでした。Kさんは縞子ちゃんに、「声でてないよ~、省エネだね!」とつっこんでいたそうです。 そして、秋ごろ右目の上が腫れて、右目と鼻から血液混じりの鼻水がでるようになりました。そのころからは、ゴロゴロのかわりに、ガーガーと鳴いてくれたそうです。
そこからはみるみるできものが大きくなり、反対に体はやせ細って行きました。しかし、縞子ちゃんは奇跡的に年始を迎え、一時的には体重も増えました。そして、2月最後の日曜日に家族全員に見守られて、いつもの家族のベッドの上で亡くなりました。亡くなる当日も、ごはんを食べていました。
縞子、 またどこかで私と一緒に住もうね。
そういってKさんは縞子ちゃんとお別れをしました。
(獣医師・小宮 みぎわ)