「入学式前に制服が届かない」を機に、夜回り先生が問題提起「前時代的遺物、制服の廃止を」
東京都内で多くの中学、高校の入学式が7日に行われる中、一部の新入生の制服が前日になっても届いていないことが報じられた。当該の学生服販売会社の社長は都内で緊急会見し、受注数の予測が外れたことなどを原因として謝罪したが、その一方で「制服の是非」を問う声も起きている。「夜回り先生」こと教育家の水谷修氏は高校教員時代に制服廃止に取り組みながら、生徒や保護者の反対で挫折した体験を踏まえ、改めて今回の問題を機に、制服のあり方について歴史を踏まえながら問題提起した。
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中学校や高校生の大切な日、一部の生徒に、注文した会社の不手際から、入学式に制服が届かなかったという報道がありました。そのような中、私は、制服というものが必要なのかをもっと生徒のみならず、教員や学校関係者、そして国民が考えるべきだと思います。
日本における学校制服は、明治時代の1870年代に学習院が初めて採用したと言われています。その後、服装による家庭の経済格差をなくし、また集団としての意識を高めるために全国に広まり、現在に至ったと言われています。1970年代には、学生運動の拡がりの中で、制服は、管理教育そして個性抑圧の象徴として、多くの都立高校や一部の公立高校で廃止されました。私が、高校で学んでいたのは、まさにその時期でした。
しかし、80年代からは、再度制服を採用する学校も増え、それどころか、有名デザイナーのデザインによるファッション化した制服を採用し、生徒を1人でも多く集めようとする学校すら現れました。
私は、その頃横浜市の公立高校で教えていました。生徒会の担当になったときに、制服廃止に取り組みました。私が、生徒たちに語ったのは、当時でも、5万円近くかかる制服を購入しなければならないことが、家庭によっては大きな負担となっていること。制服を毎週洗濯することはまずなく、多くの場合は、1学期に1度だろう。こんな不衛生なことがあるのか。また、それぞれ考え方や生き方が違う生徒に同じ制服を押しつけることは、生徒個人の個性を抑圧している非民主的な管理主義なのではないか。この3点でした。そして、まずは生徒たち、保護者、教員に、制服廃止についてのアンケートを採ることとなりました。
その結果に愕然としました。教員の60%が反対、80%近くの生徒や保護者は、制服廃止反対。その理由にも驚きました。教員の反対理由は、主に、他校の生徒と区別が付かず、生徒指導がしづらくなる。生徒たちの多くは、毎日何を着ていくか悩みたくないから。保護者の反対理由は、かえっていろいろな服を買わなくてはならなくなり負担となる。また、葬式や結婚式などに連れて行くとき、着る服を別に買わなくてはならなくなる。でした。当然、制服廃止は、中止となりました。
私は、その後、夜間定時制高校に勤務しました。夜間定時制高校には、制服はありません。生徒たちやその家庭の負担を極力なくすためであり、高齢になって学びを求めて入学してくる生徒も多かったからです。確かに、新入生たちの中には、最初は、毎日のように服を替えたり、派手な奇抜な服装をしてくる生徒もいます。でも、それも1、2か月たてば落ち着き、普通の服装になっていきます。なんら生徒指導にも、学習にも問題はありませんでした。
その一方で、90年代から、ミニスカート化、ルーズソックスなど、特に女子高校生たちの間で、制服のファッション化が始まり、2000年代からは、「JK」ビジネスと呼ばれる商品化にまで至りました。東京の秋葉原に行けば、その実態は明らかです。
私は、今こそ、制服は廃止すべきだと考えます。政府は、全公立高校の授業料の無償化を行い、私立高校の授業料についても、ほとんどの家庭での無償化が行われました。そのような中で、一部助成金は出ていますが、低所得の家庭での制服購入は厳しいものがあります。また、本来の目的を離れ、一部が生徒たちの商品化につながる制服には、何の意味があるのでしょうか。いや、どれだけ教育や生徒自身に悪い影響を与えているのでしょうか。
今や、大人の社会でも、制服を見かけることは少なくなりました。多くの企業や商店が廃止しています。このような社会の変化の中で、すでに制服は、前時代の遺物となっていると私は考えます。
生徒たち、1人ひとりが、学校や教室でどのような服装で学ぶかを自ら学んでいくことが、服装の「TPO」を身につけることにつながり、また自らの個性を成長させることとなると私は、考えます。
私は、前時代の遺物、制服を廃止することが、新しい教育や学びのスタートにつながると考えています。